ネトレプコ ヴィリャソン ハンプソン リッツィ指揮ウィーン・フィル ヴェルディ 歌劇「椿姫」(2005.8Live)

たとえ悲劇であっても、開放的で明朗過ぎる音調が苦手だったのだろうと思った。
「ラ・トラヴィアータ」、通称「椿姫」などその最たる例。音楽は一分の隙もなく美しく、徹頭徹尾聴き手を虜にする造りだ。

「椿姫」の背景には、当時の愛人だったジュゼッピーナ・ストレッポーニとの熱烈な恋があった。

《ラ・トラヴィアータ》というオペラは19世紀のヨーロッパ文化のもつ非常に重要なある一面を提示しているのではないだろうか。どろどろとした一見醜いような男女の愛のあり方に関する基本的な問題がここに昇華されて、限りなく美しい愛の物語としてオペラ化されたのだ。フランスの社会構造の変革期におけるきしみから生まれたパリの文化が、アルフォンシーヌという美人によって現実問題となり、それを小デュマが文学作品として昇華した。そこに、まだ社会構造がフランスのように変化してはいないし、もっと真面目な道を歩んではいたが、パリよりは厳しいイタリアでの道徳基準からすると、道を踏みはずしたには違いないジュゼッピーナという女を愛したヴェルディという天才が、自分の体験を『椿姫』というドラマの中で鏡のように映し出し、それを一気呵成に仕上げた作品、それが《ラ・トラヴィアータ》だったのだ。ヴェルディはこの作品の完成にたった3ヶ月しかかけていない。だがそこには何も苦労した跡がない。多分ヴェルディの頭脳から自然に湧き出るようにあの名旋律が出てきたのだろう。
永竹由幸「ヴェルディのオペラ 全作品の魅力を探る」(音楽之友社)P274

社会的背景、個人的な体験、様々なものが入り組んで現実にあったようだが、おそらくそういうすべてが刺激となり、ヴェルディは触発され、美しい音物語が自ずとでき上ったのだろうと想像する。

何より「歌」に満ちる「ラ・トラヴィアータ」の永遠の魅力。
僕が初めて聴いたのはカルロス・クライバーのDG録音だった。これはもはや極めつけのセットだと言えるが、その後、トスカニーニ盤を耳にしたときも度肝を抜かれた。

コトルバス ドミンゴ ミルンズ カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管 ヴェルディ 歌劇「椿姫」(1976.5, 1977.1 &6録音) アルバネーゼ ピアース メリル トスカニーニ指揮NBC響&合唱団 ヴェルディ 歌劇「椿姫」(1946.12録音)

そして、上記2つの新旧名盤に、21世紀の新たな名盤が加わった。20年前のザルツブルク音楽祭の記録。
久しぶりに聴いたアンナ・ネトレプコが主人公ヴィオレッタを歌ったザルツブルク音楽祭ライヴに、このオペラの自然なあり方、シンプルな音楽そのものの流れにとても感激した。

・ヴェルディ:歌劇「椿姫」
アンナ・ネトレプコ(ヴィオレッタ・ヴァレリー、ソプラノ)
ヘレーネ・シュナイダーマン(フローラ・ベルヴォー、メゾソプラノ)
ディアーネ・ピルヒャー(アンニーナ、ソプラノ)
ロランド・ヴィリャソン(アルフレード・ジェルモン、テノール)
トーマス・ハンプソン(ジョルジオ・ジェルモン、バリトン)
サルヴァトーレ・コルデッラ(ガストーネ、テノール)
パウル・ガイ(ドゥフォール男爵、バリトン)
ヘルマン・ヴァレン(ドビニー侯爵、バス)
ヴィルヘルム・シュヴィングハンマー(グランヴィル医師、バリトン)(第1幕&第2幕)
ルイジ・ローニ(グランヴィル医師、バス)(第3幕)
ドリタン・ルカ(ジュゼッペ、テノール)
ヴォルフラム・イゴール・デルントル(フローラの召使、バス)
フリードリヒ・シュプリンガー(伝令、バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団
モーツァルテウム管弦楽団(舞台上の音楽)
カルロ・リッツィ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(2005.8Live)

どこをどう切り取っても、聴きどころ満載の「椿姫」。
映像は未聴だが、音だけで充分聴き応えのある、溌剌たる音楽が繰り広げられる。

ヴィリー・デッカーによる新制作「椿姫」のザルツブルク祝祭大劇場でのプレミエの前から、この一連の公演は2005年の音楽祭の絶対的なハイライトと見られていました。7公演すべてが数ヶ月前に完売しただけでなく、座席数の5倍もの申し込みがありました。闇市場での価格は天文学的な高騰を見せ、切羽詰まったファンは白紙の小切手を送り付け、中には初日のチケット1枚と引き換えに2週間のカリブ海クルーズを提供するという人までいました。裕福でない観客は、テレビやラジオで公演の生中継を鑑賞でき、野外の大型スクリーンでも時間差で中継を見ることができたのです。
アンナ・ネトレプコが主役を歌うという事実は、多くのオペラ愛好家に魔法のような効果をもたらしたに違いありません。懐疑的な評論家の中には、メディアの宣伝によって生み出された過度の期待が果して満たされるかどうか自問した人もいたかもしれません。しかし、その夜の終わりには、このロシア人ソプラノ歌手が魅力的で並外れたカリスマ性を持つアーティストであり、オペラの世界で新たな聴衆を開拓できることをあらためて証明したのです。彼女は素晴らしく輝き、発声はぶれることなく、繊細に操り、ヴィオレッタの悲劇を深く、感動的に表現しました。彼女とともに、そこにはロランド・ヴィリャソンとトーマス・ハンプソンという二人の素晴らしいパートナーもいました。ビリャソンはアルフレードの、ヴィオレッタへの情熱的な愛をエネルギッシュな演技で表現し、ハンプソン扮するジェルモンは、真の変化と発展を遂げることができる人物でした。
カラヤンの全盛期以来、ザルツブルクでは見ることのできなかった熱狂的な拍手と自然発生的なスタンディング・オベーションで幕を閉じたこの公演は、3人の傑出した歌手と、極めて簡素に抑制された舞台装置が際立つ、(デッカーの知的で劇的、効果的な演出含め)音楽祭の歴史に残るであろうものとなりました。

(ノーバート・クリステン)

いやはや、全世界のオペラ・ファンの期待を背負った公演は大成功だった。
それは、残されたこの録音を聴けば明らかだ。

リッツィ指揮ウィーン・フィルのヴェルディ「椿姫」(2005.8録音)を聴いて思ふ リッツィ指揮ウィーン・フィルのヴェルディ「椿姫」(2005.8録音)を聴いて思ふ

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