
まさしく、ドイツ人ほど妥当する芸術的形姿を獲得するのに困難を覚えた人間はなく、一方またこの形姿へのあこがれをこれほど深く宿した者も、自己の本性のため、このあこがれにこれほども情熱的に身を焦がした者もいなかった。次のように記したのもドイツ人であった。
いかなる時もいかなる力も、
生生発展する刻印された形式を破壊しえない。
ゲーテ
「芸術におけるドイツ的なものへの問い」(1937年)
~ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音楽ノート」(白水社)P113-114
第2交響曲は、深遠な哲学的内面を徹底的に磨くことを重視し、文字通り「生生発展する刻印された形式」に準じた交響曲だといえまいか(ようやく、そして突然にその意味と意義が僕に見えるようになってきたのだ)。
こちらへ来てからというもの、作曲の時間には事欠きません。新しい交響曲(第2番です!)の総譜を書き上げました。ぼくの死後、いつかは、この作品を問題にしてくれる人が現われるだろうと思っています—もちろんドイツ文化圏内だけの話ですが(このドイツ文化を離れては、ブラームスもブルックナーも結局は考えられないはずです)。
(日付なし、1945年末? ルートヴィヒ・クルティウス宛)
~フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P140
クララン=モントルーは、「ラ・プレリー」病院からのフルトヴェングラーの手紙。
彼の想像以上に、後世はグローバリズムの波押し寄せ、ブラームスもブルックナーも全世界的な存在になり、世界中どこにいても優れた演奏が聴けるようになっていった。
(フルトヴェングラーの作品もドイツ文化圏内どころの話ではない)
グローバリズムを通じて皮肉にも世界は分断されて行ったが、しかし逆に文化的には統一に向かっているのだという見方も可能だ。
僕は、フルトヴェングラーの交響曲が晦渋であるという論には納得する。
ただし、どこに向かって進んでいるのかつい見失ってしまうほど長大な(まして変化の少ない)交響曲を、フルトヴェングラーがなぜ書かなければならなかったのか、そのヒントは1937年の小論「芸術におけるドイツ的なものへの問い」にあった。
(ギリシャ悲劇と)同じようなことがドイツ音楽にも生起した。ドイツ音楽もまた自分の生育した静かな庇護された世界より生命力を汲みとった。自分の生まれ故郷である、愛情にみち、俗世から遠ざかった平和と落ち着きの雰囲気は、自己を弁解し、あくせくと働き、成功を修めねばならぬというような一切の義務感からの解放をもたらし、たえず素朴、単純、誠実に生きて自己を明白に、飾り立てることなく表明するという可能性を与えてくれた。内面的な自由、言い換えれば、いまだかつて外部からの衒学的、非生産的な批評に屈したことがないという事実だけが、自己の内部に耳を傾け、いますでに自分がそれであるもの、つまりドイツ的本質の純粋な鏡になるということを可能にしたのである。
~ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音楽ノート」(白水社)P108
フルトヴェングラーは、自身の芸術を生み出すにあたり、外的期待を忘れ、あくまで自己の内部に耳を傾けることに集中したのである。その結果が、(冗長な印象を与える)交響曲第2番だった(彼は、芸術における「ドイツ的なもの」の最たるものが音楽だと断定した)。
ドイツ人とは、北方と南方のあいだ、「古典的」な世界と「北方的」な世界とのあいだで投げたり投げ返されたりするだけで、決して自己自身に到達することのない存在ではなく、むしろこの2つの世界が—たとえそれがいまだかつて外部から彼にあたえられたことがないにせよ—彼のうちに内在するのである。この意味での分裂が彼の本性であり、統一不可能に見えるものを無理やりに統一しようと試みるとき、彼ははじめて完全に自己自身となるのである。
~同上書P112-113
弦楽器によって奏される下降音型と上昇音型の組み合わせで、鏡面的にいわば「谷」を示す主題を持つ。そしてその主題が全編にわたり響き、「循環形式」という、全楽章通して一貫する構成になっているのだ。ちなみに、冗長な印象は、作品を分解し、形式を理解し、ただひたすら淡々と傾聴すれば、即消える。
(微分こそがこの交響曲を理解する鍵だ)
実に不思議な音楽だ。いや、おそらく映像を通して、楽器の動きを具に見せられているからそう感じるのかもしれない。
ネーメ・ヤルヴィの年老いた姿に驚いた。
しかし、紡がれる音楽はとても美しく、力強いものだった。
比較的速いテンポながら70分超という重厚さはドイツ浪漫派そのものといえる。
とらえどころのないといえば、そうだ。
しかし、この「淡々と」繰り返される主題こそが、フルトヴェングラー音楽の真骨頂だ。
4楽章制ながら僕には単一楽章の音楽のように聴こえてならない。
なるほど、結果的にナチス・ドイツに留まったフルトヴェングラーは、音楽を通じて世界の統一が可能だと心底信じていたのかもしれない(そんなに甘くはなかったが)。
・フルトヴェングラー:交響曲第2番ホ短調(1944-46/1951rev.)
ネーメ・ヤルヴィ指揮エストニア国立交響楽団(2024.5.10Live)
タリンはエストニア・コンサート・ホールでの収録。
第1楽章と第2楽章はほぼ対比なく、ゆっくりと音楽は進む。また、第3楽章はスケルツォといえど、音調は前2楽章とほぼ変わりない。終楽章になってようやく音楽はエンジンがかかる。それは、ほとんどフルトヴェングラーの指揮法と相似形であり、この作品の頂点がやっぱり終楽章であることを示しているのだと思う。
(とにかくこの映像を繰り返し観ていただきたい)
