ウゴルスキのベートーヴェン

beethoven_32_ugorski.jpg小学生にモノを教えるように手取り足取り懇切丁寧に対処することは自分の勉強にもなる。そもそも「人にモノを教える」という行為自体自身の成長に直接的につながるのだから、そういう役目は進んで買って出た方が良い。「教えてあげている」のではなく逆に「学ばせていただいている」のである。どんなことでも傲慢にならず謙虚に行えば、相応の贈物があるものだ。

大学全入時代というが、本当に名前さえ書けば入学できる大学があるらしい。高校の延長のような様子で、職員が始業のベルと共に「起立、礼」と号令をかけ、終了時も同じ光景が繰り返される。少々僕は驚いた。『90分の授業中ひっきりなしに私語をする学生も多いよ』、とか『クラスが崩壊して授業にならないよ』、などと事前に半ば脅しのような(笑)アドバイスをいただいていたが、さすがに二十歳を超えた大学3年生ともなると目の前の就職戦線の厳しさがいかばかりか当然理解しているようで、確かにそわそわして落ち着かない面々もいるのだが、真面目に真剣に、そして素直に吸収しようという学生諸君もいることがわかり、安心した。ともかく授業も決していい加減にはできないと気を引き締める。

本当はある程度時間をかけ、細かいところからじっくりと指導してゆけば、どんな子でも必ず伸びてゆくものだと僕は思う。残念ながら、立場上1回きりという出逢いが大半だし、300人以上が参加する大教室の中でそこまでのフォローができないところがもどかしい(とはいえ、実際マンツーで指導するとなると僕自身が意外に早々に根をあげてしまうかもしれないけれど)。いずれにせよ、本日も良い気づきをたくさんいただいた。感謝。

ところで、音楽に関しても、ある意味「手取り足取り懇切丁寧に教えてくれる」演奏がある。楽曲のテンポを極端に遅くすることで、細部が明確に浮き掘りになり、「なるほどこういう音楽だったのか!」とやにわに理解できる時がある。無論遅ければ何でも良いというわけではない。類稀な音楽性とそれをカバーするだけのテクニックがないとお話にならないのだが、アファナシエフやウゴルスキ、あるいはクレンペラー、クナッパーツブッシュなどの「ユックリズム」の価値はそういうところにもあるのだろうか。

ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111
6つのバガテル作品126
バガテル「エリーゼのために」イ短調WoO59
ロンド・ア・カプリッチョト長調作品129
アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)

ベートーヴェンのピアノ音楽というのは底なしの沼のようである。どこまで掘り下げても終わりがない。そして誰がどのように演奏しても「正解」というものが存在しない。どんな風に解釈し、弾いてもそれぞれがそれぞれのベートーヴェンにはなる。あとは「心の奥底」に届くだけの微細なクラスターをもつエネルギーがあるかどうかだけだ。この最後のソナタについても音盤、実演含めこれまで様々な演奏で聴いてきた。そのたびごとに途轍もない感動を与えてもらった。そんな幾たびの体験の中でも、録音という弱点を抱えながら、このウゴルスキの弾く「天使の調べ」は楽聖最後のソナタの結論なのではないかという錯覚に陥れられるほど堂に入っている。特に深淵を覗き込む様に始まる第2楽章の瞑想のような、哲学的な様は言葉では何とも表現し難い。6つのバガテルについてもそう。最晩年のベートーヴェンも、ブラームスが最後の日々に孤独と闘いながらいくつかのピアノ小品を書き綴ったように、人間業とは思えないような音楽を残してくれた。
まさにこれらは楽聖の遺言である。そして・・・、そんな深遠な世界から突如「エリーゼ」のかの有名なメロディが鳴り響く瞬間の恍惚感。このあまりに有名な音楽がどこからともなく聴こえる「啓示」のようにも聴いてとれる。見事としか言いようのないウゴルスキのピアノ。ここのところ音信不通だが、彼は今どうなっているのだろう?

4 COMMENTS

雅之

こんばんは。
ご紹介のウゴルスキのベートーヴェン、昔話題の演奏だったのは知っていましたが、残念ながら未聴です。聴いてみたいです。これは深そうです。
今夜は「ユックリズム」の話題なので、私は際物で勝負!(笑)こんなCDはどうでしょう?
ベートーヴェン 交響曲第9番 マクシミアンノ・コブラ(指)ヨーロッパ・フィルハーモニア・ブダペスト管& Cho他
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=377649
《「古典派時代の指揮法は現在と違って、タクトの一往復をもって一拍と定義していた」という「テンポ・ジュスト」なる不思議な学説に従い演奏するコブラ》・・・。
《全曲なんと110 分の第九》・・・、言葉を失います。
宇野先生指揮の「第九」と並べて際物ではベスト2といえよう。両盤とも備えておきたい。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
このベートーヴェンは本当に深いです。ぜひ雅之さんにも聴いていただきたいと思う名盤です。
コブラ!!(笑)
だいぶ前に随分話題になりましたが、あまりに際モノ的で、僕は1枚も所有してないですし、それどころか耳にもしてません。好奇心で聴いてみたいとはずっと思っていたのですが、なかなか勇気がなくて(笑)。そう思っているうちにほとんどが廃盤で。
まぁ、でもこれはいくら何でも何回も聴けるCDじゃないと思うのですが・・・。
宇野先生の第9はCDでも持っておりますし、実演でも1度だけ聴いております。正直あまり感心、感動しませんでした。
ただし、「宇野先生指揮の「第九」と並べて際物ではベスト2といえよう。両盤とも備えておきたい。」という意味では良いかもしれません(笑)。

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岡本浩和の音楽日記「アレグロ・コン・ブリオ」

[…] たとえ親子といえども人格は別。生まれてきた意味も意義も、あるいは使命も当然異なるもの。 ディーナ・ウゴルスカヤのベートーヴェンは父アナトール・ウゴルスキのそれと違って柔らかく母なるものに満ちている。彼女の奏する、母性をくすぐる最後のソナタ作品111に感銘を受けた。 この作品は解脱と昇華を意味する崇高なものであると僕は信じてきた。それゆえ、説得力のある演奏をするには相応の人生経験が必要だと思っていた。しかし、もはやそれはそうではないのかも。まさにパラダイム・シフト。時と場所を超え、ただそこに在るということ。天使の歌。淡々と語られる音楽の内側に感じるものはそれだ。 第1楽章マエストーソ―アレグロ・コン・ブリオ・エト・アパッショナートに暗澹たる闘争はない。冒頭からすべてを包み込み、調和と安息に支配される音楽は涙が出るほど美しい。そしてまた、見事に透明な第2楽章アリエッタ。音楽は、ある時は遅々として進まず、またある時は一気呵成に跳ね、動く。しかし、ディーナは何よりひとつひとつの音を大切にする。その瞬間も実に丁寧に音楽が紡ぎ出されるのだ。 […]

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