フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」ほか(1947.11&1949.2録音)

未だ懐疑的に録音に臨むSP期のヴィルヘルム・フルトヴェングラー。
冷静、というよりおそらく慎重に事に当たっての結果だろうと想像する。
音楽は沈潜する。どこか途惑いがあるのかも。否、いやいや作業に(?)応じているのかどうなのか。

1901年秋、フルトヴェングラーは父に連れられてギリシアを旅した。しかしそこで彼の心を占めていたのは、アイギナ島の神殿遺跡よりは、むしろ音楽だった。「土地や住民の観察はそっちのけで、ヴィルヘルムは自分のことに余念がない。ベートーヴェンの四重奏曲をいくつか持ってきていて、それに読み耽っている—後期の四重奏曲、なかんずくフーガの様式に魅せられていて、それがあの子には一つの典型のように思えるのだろう。」(覚え書三)コルフ島からベルテルに宛てた手紙は次のようである。「・・・無類に美しい風景、直截な線とやはり単純な色彩、いずれもドイツではとうてい想像できないくらいの強烈さだ。海の青さは紺碧の空と同じ、昨日船の上からはじめてそれを見たとき、ぼくは全世界を胸にいだいてもいいと思った。」そしてアテネからは、「・・・ぼくは裸の巌の上に腰を下ろしている。かたわらに廃墟に近い古い墓碑が立っている。石に彫られたレリーフや人の姿はすっかり摩滅してしまっている。・・・古代神殿の建築術は、今ではもはやどこにも見つからないくらい、とてつもなく偉大なものだったにちがいない。」(追憶の記五)家庭教師も父もこの旅行にそなえて、ヴィルヘルムに充分な予備知識を与えたことは、彼の旅中の文章から明らかだが、ベルテルに宛てた手紙の話題といえば、きまって音楽であり、ベートーヴェンの四重奏曲であり、ときにはまたゲーテの詩であった。この巨匠の詩を読むとき、ヴィルヘルムはおのれ自身の心の体験の幸せを実感することができたのだった。「共感できるところがあまりに多く、この詩の世界がまるで自分の世界のように思えてきます。それほどぼく自身の気分にぴったりなのです。」もっとも幸福を感じたのは、アイギナ島においてであった。「・・・すばらしい寂寞の世界だ。願いは一つ、きみがかたわらにあってほしいということ。音楽、ことにオーケストラに対する憧憬を抑えることができない。毎日ベートーヴェンの四重奏曲を読んでいる(ゲーテの詩は愛読書の一つとなった)。」
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P318

思春期の多感な時代の旅の記憶は、彼の生涯に大きな影響を与えた。
(ちなみに、ベルテルとは、当時彼が熱烈な恋愛体験を共有したベルテレ・フォン・ヒルデブラントである)ベートーヴェンとゲーテという二大巨頭を愛したフルトヴェングラーの芸術の深遠さの根源は、やはり少年時代の体験、そして体感にあるのだとあらためて知った。
(ギリシア旅行であったことが象徴的だ)
アポロン的であり、またディオニュソス的であるフルトヴェングラーの、ことにベートーヴェン!

ギリシアで彼が読んだゲーテの詩とは何だったのか?
自身の恋愛体験を投影し、ゲーテが愛したリリー・シェーネマンへの詩だったのかどうなのか。

やさしい谷間に、雪におおわれた丘に
あなたの面影はいつも私の身近にありました。
私をめぐりあなたの面影が明るい雲の中に
漂うのが見えました。
それは私の心の中にひそんでいたのです。
抑え難い力で心が心を引きよせるのを—
そうして、愛がむなしく愛からのがれるのを、
私はここにいて感じます。

「リリー・シェーネマンへ」
高橋健二訳「ゲーテ詩集」(新潮文庫)P83-84

同時にフルトヴェングラーの心を占めたオーケストラへの憧憬。
あるいは、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲。
奥深い、哲学的な思念は、どこまでも飛翔する。

1947年の「エロイカ」を思った。

ベートーヴェン:
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1947.11.10-12, 17 &1949.2.15録音)
・第2楽章「葬送行進曲」(アダージョ・アッサイ)(第1面)(1947.11.11録音)
・「コリオラン」序曲作品62(1947.11.25録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

いずれも楽友協会大ホールでの録音。
先入観を捨て、じっくり聴くと、後年の再録音以上に生命力宿る演奏ではなかろうか。
細切れのレコーディングに彼は業を煮やしたといわれるが、生み出された音楽の冷徹な客観性は見事だ。なぜなら、そこにはベートーヴェンへの熱い思いが宿っているから。

僕はEMIの、弦楽器を主体にした録音はてっきりウォルター・レッグの好みなのかと思っていたが、何となくそうではないのではと思うようになった。そこにはフルトヴェングラーの内なる女性性がむき出しになり、本人が知らず知らずそういう音楽を描き出していたのではないかとさえ思った。
特に、SP盤第1面のアウトテイクが収録される第2楽章「葬送行進曲」にそれは著しい。

そして、本来男性的なる「コリオラン」序曲でさえ、生き生きとした、麗しいウィーン・フィルの音色に一層の温かみと激烈さが加わっていて、昂奮を喚起するも実に癒される。名演奏だ。

フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン 「レオノーレ」序曲第2番(1954.4録音)ほか フルトヴェングラーの「エロイカ」(1947年SP復刻盤)を聴いて思ふ フルトヴェングラーの「エロイカ」(1947年SP復刻盤)を聴いて思ふ

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