時間とはあくまで人間が感知する感覚的なもので、もともとあってないようなものなんだと思った。
舞台装置は変わらず、ただただ時間が1世紀近く過ぎていく様子に、なるほど僕たちは「時間」というものに縛られているのだとも思った。
我ながら鋭い考察だ。
やはりこの作品は実際に舞台に触れねば真価はわからないだろう。
ただし、晩年のパウル・ヒンデミットの音楽は極めてシンプルであり、またどんな状況のときも歓喜に満ちている。音楽としては大人しいが、物語の内容は極めて未来的であるといっても過言でない。
かつて柴田南雄はヒンデミットについて次のように書いた。
しかし、「画家マチス」(34)以後の作品に、もはやそれ以前の狂気の炎は見られない。かつて現代の作風の先端に立って進んだ激しい感動はもはや蘇ることはない。ただ堂々と鳴り、快く響く、しかもあくまで客観的な計画された音楽になり了せてしまった。では、何が彼をそうさせたか。
前に記した彼の小著「バッハ」の中には、次のような特に印象的な一節があったのを思い出す。すなわちバッハの晩年、つまりそのライプチヒ時代には、前時代に比べて目立って寡作になったが、ヒンデミートはその原因を肉体的な老衰や眼疾のためとはみない。いわんや巨匠が芸術的な自信や使命感を喪失したためとも考えない。然らば作品の生産を阻んだものは何か。ヒンデミートはそれを人間能力の限界を極めた芸術家の陥った、一種の《メランコリー》とも呼ぶべき状態からきたのだと言う。そして火の環の中におかれたさそりが、自身の毒針で自らを斃すというすさまじいたとえ話を引いて、極限まで行ってしまった結果、もはや前進する可能性を見失った芸術家の運命をバッハの上に見ているのだ。
~「柴田南雄著作集Ⅱ」(図書刊行会)P45
柴田南雄は、「狂気の炎」が滅したヒンデミットには興味がなかったとみえる。
バッハの例をかりて、なぜ彼がそういう状況になったのか説明しようとしたが、結局「鬱状態」だったと想定しているばかりだ。そして、作品の劣化(退化?)をそのせいとした。
しかし、70年近く前に書かれたこの小論を前に、現代の僕たちの観点はまったく違うと思った。
ヒンデミットの音楽は晩年になるにつれて色香を増し、同時にシンプルに、そして透明感を獲得するようになった。
「死」というものを目前に、彼は命のバトンが次へ次へと渡されていく生の奇蹟に感動しつつ、いつも希望をもって全力で生きることの素晴らしさを伝えようとした。
1幕50分ほどの音楽を、ひたすら傾聴するに、ヒンデミットの晩年の境地が伺える。
落合和昭さんの興味深い論文を見つけた。
“Thornton Wilder のThe Long Christmas Dinnerにおける「時間」と「反復」”と題する論文では、舞台設定のうちに旧約聖書との共通性を指摘している。
実際に舞台を観ないとわからないが、おそらくヒンデミットの歌劇においても「闇から光への」移り変わりを、「生と死の」イメージと対比しながら巧みに劇の進行を促しているのだろうと思う。何より歌劇の場合には音楽がある。
ヒンデミットの音楽は、前述のように死すら生と同義として扱うようで、独自の明朗さに溢れているところが素晴らしい。
信仰を軸にし、ヒンデミットは希望を歌う。
死は恐れるべきものではないのだということも彼は音楽によって伝えようとする。
ヤノフスキの指揮は相変わらず実直で深みがある。