シエピ デラ・カーザ ダンコ ギューデン コレナ デルモータ クリップス指揮ウィーン・フィル モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527(1955.6録音)

数年前、ジョナサン・ノット指揮東響がモーツァルトのダ・ポンテ3部作を演奏会形式で上演したのがこの時期だった。3年連続で聴いたが、どれもが素晴らしい演奏だった。

ノット指揮東響のモーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」K.492(演奏会形式) ノット指揮東響のモーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527(演奏会形式) ノット指揮東響のモーツァルト 歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」K.588(演奏会形式) ノット指揮東響のモーツァルト 歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」K.588(演奏会形式)

ゼーレン・キルケゴールの魂を射抜いた歌劇「ドン・ジョヴァンニ」。
序曲などは一晩で書かれたという説もあるくらいだが、歌劇全体に満ちる魔性はモーツァルト作品の中でも随一を誇る。フルトヴェングラーの最晩年のザルツブルク音楽祭での上演記録など、いつ聴いても深みのある音楽に感動しっぱなしだが、その翌年、ヨーゼフ・クリップスがデッカに録音した演奏がまた素晴らしい。内なる精神性、深遠さが、指揮者が異なるだけでこうも違うのかと思うくらいその外面はまったく異質。
あらためてモーツァルトの音楽の懐の深さを思う。

フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527(1954.8.6Live)

歌劇「ドン・ジョヴァンニ」は、1787年10月29日、プラハで初演された。

君は多分、ぼくのオペラがもう終ったものと思っているかも知れないが—なんと—それは少々思い違いだ。第一に、当地の劇場の楽員は、ヴィーンとは違って、そんなに熟練していないので、あのようなオペラをそう短期間に覚えこむことはできない。
次に、ぼくが着いた時は用意も準備もほとんどできてなくて、14日、つまり昨日上演することは、とても考えられないことだった。そこで昨日は、劇場をすっかりイルミネーションで飾って、ぼくの『フィーガロ』を出し、ぼく自身が指揮をした。・・・どこで『ドン・ジョヴァンニ』は24日上演と決められた。
21日。それは24日と決まっていたのだが、女歌手が一人病気になって、さらに延ばされることになった。一座は少人数なので、興行主はいつも心配のしどおしで、座員をできるだけ労らなければならない。そうでないと、思いがけない病気などで、オペラがぜんぜん上演できないという最悪の状態におちいることになる! そんなわけで当地では何もかも長丁場になる。叙唱者は(怠惰のために)オペラの日には勉強しようとしないし、企業家は(恐れと不安のために)その連中にそれをさせようとしないからだ。しかし何ということだ? あっていいことだろうか? ぼくの耳に何が見え、ぼくの目に何が聞こえるのか?

(1787年10月15日(—25日)、ウィーンのフォン・ジャカン宛)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P131-132

何とも大らかな時代と地域性だろう。しかしながら、ある意味現代の諸相と誓い部分もありそうだ(雇い主がハラスメントを怖れて何も言えなくなっているのに近い)。人間社会は、特に人間の心はやっぱり退化しているのではなかろうか。この手紙の中でモーツァルトは、「ドン・ジョヴァンニ」がついに10月29日に初演されることを伝えている。

歌劇「ドン・ジョヴァンニ」の名盤といわれるものの一つ。

・モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527(1787)
チェーザレ・シエピ(ドン・ジョヴァンニ、バス)
クルト・ベーメ(騎士長、バス)
シュザンヌ・ダンコ(ドンナ・アンナ、ソプラノ)
リーザ・デラ・カーザ(ドンナ・エルヴィーラ、ソプラノ)
アントン・デルモータ(ドン・オッターヴィオ、テノール)
フェルナンド・コレナ(レポレッロ、バス)
ヒルデ・ギューデン(ツェルリーナ、ソプラノ)
ヴァルター・ベリー(マゼット、バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ヨーゼフ・クリップス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1955.6録音)

ウィーン風の典雅な音調の中に垣間見える「狂気」と言いたいところだが、前述のとおり、シエピの歌唱も指揮者に準じてか、フルトヴェングラーの時ほどのそれは薄い(特に、騎士長の石像のシーンは本当は震えるほどの恐怖を煽ってほしいところだが、実に淡々としている)。その分、歌唱そのものに徹底しており、レコードとしては当然こちらの方が上だろう。第1幕第9場ヒルデ・ギューデン歌うツェルリーナとの二重唱「お手をどうぞ」など、ツェルリーナの裏の顔、したたかさを見事に表現する巧みな歌は聴かせどころの一つだろう。

なお、初演後のモーツァルトの手紙には次のようにある。

ぼくの手紙をお受け取りのことと思う。10月29日にぼくのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』が上演された。しかも大変な喝采を受けて。昨日4回目の(しかも収入はぼくがもらえる)上演がなされた。12日か13日にここを立とうと考えている。帰ったらすぐに例のアーリアをすぐ歌えるように、お渡ししよう—だが、これはぼくたち二人だけの話。ぼくは親しい友人(特にブリーディと君)が、たったひと晩でもここへ来て、ぼくの喜びを分かちあってくれたら、どんなにうれしいことだろうと思う! もしかしたらヴィーンでもやはり上演されるかも知れない。それを願っている。ここの人たちは、いろいろ手を尽くしてぼくを説得し、あと数ヵ月もここに滞在して、オペラをもう1曲書かせようとする。しかしその申し出は、ぼくにとってどんなに嬉しいことにしろ、引き受けるわけにはいかない。
(1787年11月4日付、ウィーンのフォン・ジャカン宛)
~同上書P133-134

何という喜び!
心から喜びを隠せないモーツァルトの無垢、無心!
なるほど、クリップスの演奏にはモーツァルトの純真が投影されるのだ。

ちなみに、序曲はキルケゴールのいう永遠性の中にあろう。この音楽は、この演奏は実に血が通い、真に素晴らしいと僕は思う。

『ドン・ジョヴァンニ』をもって彼は、時間の外にあるのではなく時間のまっただなかにある永遠のなかへ踏み入るのである。そしてこの永遠はいかなる幕によっても人間たちの目から隠されていないのであって、そのなかへは不滅のものが一回かぎりに受け入れられてしまうのではなく、くり返しくり返し受け入れられるのである。
ゼーレン・キルケゴール/浅井真男訳「ドン・ジョヴァンニ 音楽的エロスについて」(白水ブックス)P15

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