宇宙開闢の歌

3月に受講した「アクティブブレインセミナー」の講師養成のための宿題が諸々あり、数時間パソコンに向かってみた。習ったことは反芻すると自然と頭に入り、理解も深まるものだが、ここはもう少しこうした方が良いなとか、こういう話を盛り込むともっと自分らしいななどと考えた。僕の場合、覚えたことを試す場所がいくつかあるので早速学生や若手社会人相手にやってみようと思っている。

鈴鹿短期大学学長、佐治晴夫先生の講演会をだいぶ前に聴き、感銘を受けた。以前より妻が先生のファンで、そのお陰で先生の素晴らしいお話を耳にすることができた。ちょうどその頃、いただいた生きる意味を深耕する月刊誌「MOKU」に先生が寄稿されており、その文章にも痛く感銘を受けた。インド最古の宗教詩「リグ・ヴェーダ」の一節を採り上げ、「すべては『虚空』から生まれた」というタイトルで般若心経を物理学者らしい切り口で明解に語るエッセーは、これからの人間の「生き方、あり方」を示唆してくれる素敵なものだった。

「リグ・ヴェーダ」から「宇宙開闢の歌」
一.そのとき無もなかりき、有もなかりき。空界もなかりき、その上の天もなかりき。何ものか発動せし、いずこに、誰かの庇護の下に。深くして測るべからざる水は存在せりや。

二.そのとき、死もなかりき、不死もなかりき。夜と昼との標識もなかりき。かの唯一物は、自力により風なく呼吸せり。これよりほかに何ものも存在せざりき。

四.最初に意欲はかの唯一物に現ぜり。こは意の第一の種子なりき。詩人らは熟慮して心に求め、有の親縁を無に発見せり。

七.この創造はいずこより起こりしや、そは誰によりて実行せられたりや、あるいはまたしからざりしや、── 最高天にありてこの世界を監視する者のみ実にこれを知る。あるいは彼もまた知らず。

途中いくつかの節は省くが、読んでみて吃驚である。陰陽の世界がそこには語られており、「意の最初の種が欲だ」というところに首肯した。ホルストが惹かれたのもよく理解できる。
ちょうど1ヶ月前、いつもお世話になるO氏がグリークラブの一員として舞台に出演されるということで浜離宮朝日ホールに伺った。その時、初めて聴いたホルストの「リグ・ヴェーダ」をテキストにした作品に思いの外感動した。これは繰り返し聴くべきと早速音盤を仕入れ、以来ことあるごとに思い出しては繰り返し聴いている。

ホルスト:
・「リグ・ヴェーダ」からの合唱讃歌第3集作品26-3
・歌劇「サーヴィトリ」作品25
・7つのパート・ソング作品44
・ジ・イヴニング・ウォッチ作品43
オシアン・エリス(ハープ)
ジャネット・ベイカー(メゾ・ソプラノ)
ロバート・ティアー(テノール)
トーマス・ヘルムズリー(バス)
パーセル・シンガーズ
イモージェン・ホルスト指揮イギリス室内管弦楽団

心が洗われる音楽の宝庫。「惑星」だけの作曲家ではないことがよくわかった。


5 COMMENTS

雅之

おはようございます。

ご紹介のホルストの「秘曲?」は未だに未聴ですが、
インド哲学との関連で大変興味深いので、一刻も早く聴くようにします(笑)。
お教えいただきまして感謝です。

岡本さんの本日の話題から、
大好きな量子力学や宇宙論の話題に展開したいのですが、
今朝は、ちょっと矛先を転じまして・・・。

・・・・・・数字(数学)の0(ゼロ)を発見したのは、インド人らしい。・・・・・・
http://raani.org/faq/math.htm

先日、小学校低学年のころからずっと疑問だった、
(昔、このコメント欄でもお話したことがありましたが)、

「電卓で10÷3を計算すると0.33333・・・なのに、
0.33333・・・×3=0.99999・・・にしかならない。
だったら、0.99999・・・=1なのか」

について調べていたら、
ウィキペディアの記事が、もの凄く充実していることを知りました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/0.999

でも、これがまた、超難しくて(笑)。

「関連する問題」の項より
・・・・・・0 による除算 は 0.999… のいくつかの一般的な議論に見られるが、それもまた論争を引き起こす。多くの著者が 0.999… を定義することを選択する一方で、ほとんどすべての現代的な取り扱いでは 0 による除算を定義していない。というのは、それが通常の実数では意味を与えられていないからである。しかしながら、0 による除算は複素解析など他の体系では定義されている。複素解析では、拡張された複素平面(リーマン球面)は無限遠点をもつ。ここで、1/0 を無限大であると定義することには意味がある。また、実際その結果は奥深く、工学や物理学に適用可能である。何人かの著名な数学者は、どの数体系も発達するずっと前からそのような定義を論じていた。

・負の 0 は数を書き表す多くの方法においては、もう1つの冗長な特徴である。実数などの数体系においては、”0″ は加法に関する単位元を意味し、正の数でも負の数でもない。通常 “−0” は加法に関する 0 の逆元を表すと解釈され、−0 = 0 でなければならない。それにもかかわらず、いくつかの科学的な応用では、最も共通なコンピュータの数体系(例えば 符号付数値表現、1 の補数表現、IEEE 754 で定義されたような浮動小数点表示)のように、正と負の 0 を分けて用いる。IEEE の浮動小数点数の場合は、負の 0 は、与えられた正確な数値を表すには(絶対値が)小さすぎるが、それでもなお負の数である値を表している。したがって、IEEE 浮動点数表示における「負の 0 」は真実の意味で負の “0” ではない。・・・・・・

う~ん、今一よく理解できない。
このあたり、ほとんど私には「禅問答」なんですけど(ビッグ爆)。
岡本さん、理解できますか?

返信する
雅之

「電卓で1÷3を計算すると0.33333・・・なのに、
0.33333・・・×3=0.99999・・・にしかならない。
だったら、0.99999・・・=1なのか」

こんなサイトもありました。
http://pikapika.to/~yf/momoka.cgi?id=1890&op=readmsg

それにしても、
>「意の最初の種が欲だ」というところに首肯した。
についてですが、人間の欲も、どこまで行っても無限ですなあ、
完璧を追い求めたら、きりがない(笑)。

0.99999・・・=1ということは、
今回は完璧だと確信した演奏も、
じつは0.99999・・・で、完璧ではないということですか、
素人的発想では(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
「ゼロ」という概念はインド人が産み出したものですが、これまた考え出すと悠久の世界にトリップしてしまいそうで(笑)、恐ろしいですね。

それにしてもウィキペディアの記事、専門用語が多すぎてよくわかりません。
ちなみに僕は最近は次のように考えています。
数はそもそも連続した線で、整数といわれる「点」でそもそも区切ることは難しい。
最初と最後(つまり、0と1)は神だけが知る境地で、そういう意味で宇宙は永遠だと。

>0.99999・・・=1ということは、
今回は完璧だと確信した演奏も、
じつは0.99999・・・で、完璧ではないということですか、
素人的発想では

素晴らしい!いつも精進せよ、ということですかね!

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