荘厳ミサ曲について

日本人の(というよりクリスチャンでない)僕にとってキリスト教文化を受容するのはとても困難。共感という面でもそうだが、その歴史について極めて薄い知識しか持ち合わせないものだから、例えばミサ曲の類などを聴いてみても表層的な捉え方しかできていないことに常にもどかしさを感じ、威厳に満ちた素晴らしい作品を前にいつもどこかで尻込みをしてきた。
高校生の時、当時崇敬していた宇野功芳先生が荘厳ミサ曲こそがベートーヴェン畢生の傑作であるとどこかで書かれており、その言葉を信じ、早速名盤であるクレンペラーのカートン・ボックス入り音盤を大枚叩いて買い、繰り返し聴き、自分のものにしようとした時期があった。ところが、何度繰り返し聴いてもわからない。せいぜいクレドくらいまでしか気力がもたず、その後は眠くなってしまい、一向に埒明かず。その後、バーンスタイン&アムステルダム・コンセルトヘボウ盤を耳にしたり、あるいは朝比奈先生の実演に触れたり、この究極の鎮魂曲を享受する機会は何度もあったものの、実に今の今まで「わかった」とは言い切れなかった。

先日も書いたが、青木やよひ氏の書籍を読み、かの楽曲への興味が再興し、久しぶりにジンマンが指揮する音盤を取り出して聴いてみた。実に60分強で一気に駆け抜ける、軽快でかつ軸のぶれない名演。いける。これなら繰り返し反復することでようやくこの作品の真意が理解できるかもしれない。特に「サンクトゥス」以降の3曲が何とも美しい(とやっと感じることができた)。
聴く者に「もっと聴きたい」という欲望と「聴いたら幸せになれる」という希望を与える演奏というのは貴重だ。というより聴く側を意識して音楽を提示することはプロフェッショナルとしてとても大切なポイントだろう。僕自身決して古楽スタイルの演奏が好みと言うわけではないが、少なくともここでのジンマンは素敵。ただただ聴衆の理解を促すためにあくまでその作曲家の使徒として作品と対峙する。そんな姿勢に好感が持てる(実際にジンマンがどんな人でどんな考えを持っているのかはよく知らないが、彼が指揮する第9然り、最近のマーラー然り、そんなことを感じる)。

ベートーヴェン:
ミサ・ソレムニスニ長調作品123
ルーバ・オルゴナソーヴァ(ソプラノ)
アンナ・ラーソン(アルト)
ライナー・トロスト(テノール)
フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ(バス)
シュヴァイツァー室内合唱団
ディヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

ところで、久しぶりに外出せずこもっていた。たまには良い。といっても、ぼっとしていたわけではなく、ワークショップZEROのサイトをリニューアルするためあれこれと最終調整をしていたわけだが(基本的にすべて自身の手作りでやるのでいろいろと不具合が生じ、悪戦苦闘の日々)。それと、転職支援のためのセミナーサイトも新しく立ち上げようと計画しているのでそちらについても少しばかり検討。初夏の過ごしやすい天候ですこぶる気持ち良いはずなのだが、どうも体調は万全でない。何か病気なのだろうかと頭を過ぎったこともあるが、直感的に例の原発の影響もあるんじゃないかと考えた。というのも、地下鉄に乗ると決まって胸のあたりに違和感を覚えて呼吸が少しばかり苦しくなるから。それだけで原発、放射能のせいだと言い切るのはナンセンスだが、空気中で飛散された放射能が地上に貯まると濃度が相当に濃くなる(地下はもっとひどいらしい)というのだからあながち間違いではなさそう。

といってもとりあえずのところは為す術なし。外出するときはできるだけ高性能のマスクをした方が良いとのアドバイスも受けた。ここはひとつ素直に聞いてみるのもよかろうかと思っている。


4 COMMENTS

雅之

おはようございます。

ジンマンの件、
>というより聴く側を意識して音楽を提示することはプロフェッショナルとしてとても大切なポイントだろう。

には同感です。どんなに高尚な音楽でも「エンターテイメント」には違いないのですから・・・。特に、音だけで聴くCDには、そのあたりの配慮は重要ですね。ジンマンの演奏は、これからの暑い夏の季節に、聴きにくい曲を聴くときには、いい演奏だと思っています。

マーラー:交響曲第10番(カーペンター版) ジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3922180

ベートーヴェン:「ミサ・ソレムニス」という作品は、ベートーヴェンのキリスト教に対する屈折した心境をどこかで反映おり、そのことが、むしろ我々宗教から距離の遠い日本人に共感できるポイントなのではないかと日頃感じています。マーラーの10番(カーペンター版)もそうですが、だからこそジンマンによる淡泊な解釈が、暑苦しかったり押しつけがましくなったりせず、説得力を発揮するのでしょう。

>直感的に例の原発の影響もあるんじゃないかと考えた。

それは、心理的な要素のほうが大きいなじゃないかと私は思いますが、
いずれにせよ、生存権を脅かし「音楽を伝達する空気」を汚染し続ける原発は、
腹立たしい限りです。

こんなことでメルトダウンもしてしまい、
今日も愛する国土と海をますます汚染し続ける原発を、
絶対に許すわけにはいきません。
http://www.geocities.jp/tobosaku/kouza/ondanka.html

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雅之

私が最も危惧しているのは、海産物をはじめとする食物への汚染です。
体内被曝の問題は深刻で、これから長く続くことになると思います。
そして高レベル放射性廃棄物の問題、
原発が「トイレのないマンション」だというのは、上手い表現です。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。

>ジンマンによる淡泊な解釈が、暑苦しかったり押しつけがましくなったりせず、説得力を発揮するのでしょう。

なるほど、賛否両論だとは思いますが、「淡白な解釈」というのがポイントですね。僕も昔はねっとりとしたうねりのある重厚な演奏が圧倒的な好みでしたが、最近は年のせいか(笑)淡白なものを好む傾向にあります。おっしゃるように特に「これからの暑い夏の季節に、聴きにくい曲を聴くときには、いい演奏」ですよね。

>生存権を脅かし「音楽を伝達する空気」を汚染し続ける原発は、腹立たしい限りです。

同感です。それと海産物に限らずすべての食物への汚染、廃棄物問題、本当にこれからが大変ですよね。恐ろしい問題だと思います。

>原発が「トイレのないマンション」だというのは、上手い表現です。

同感です。

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