ストコフスキー指揮ニュー・フィルハーモニア管のチャイコフスキー第5番(1966.9録音)を聴いて思ふ

第5番は一時期〈失敗作〉(メックに—1888年12月2日)と落ち込むが、ハンブルクで大成功(1889年3月15日)。〈ブラームスがこの交響曲のために一日長く同地滞在。すべての稽古に来て評価した〉(モデストに同年17日)と、自信をとりもどす。病気のアヴェラルマンは、新作献呈に熱狂と興奮の手紙で応えた。
伊藤恵子著「作曲家◎人と作品シリーズ チャイコフスキー」(音楽之友社)P149

(おそらく同時期の)グスタフ・イェンナーの報告によると、チャイコフスキーとブラームスはまったく正反対の性質で、音楽作品に対する観点も随分異なっていたようだから、何よりブラームスが評価したという点が興味深い。

ハンブルクで、あのチャイコフスキーと知りあったのだ。当時チャイコフスキーは、自作を演奏するためドイツの主要都市を巡演していた。彼がハンブルクに足を延ばした折、歓迎レセプションの席で、主催者のベルヌート氏に紹介されたのだ。その上品で人好きのする外観と、世界のどこでも通用する優雅な物腰は、いやでも周囲を惹きつけた。彼が「明日の朝、作品を見せにいらっしゃい」と親切に申し出てくれたので、ライプツィヒで見せたのと同じ作品を持参することにした。興味深そうに見入っていたチャイコフスキーの批評は、ブラームスとまったく違うところに向けられ、非常に啓発的だった。チャイコフスキーは口数が多く、話は楽しいけれど、話の内容は曖昧で、音楽についてというよりもおしゃべりに近かった。それに対してブラームスは、作品の土台そのものを鷲づかみにし、確かな目で構造上の弱点を明らかにした。彼は作品の内容には触れなかったような印象もあるけれども、「夢に酔いしれる」若造を容赦のないまなざしで突き崩したとき、作品全体の構造を見抜いていたに違いないのである。
(グスタフ・イェンナー「ヨハネス・ブラームス 人間、師匠、芸術家—研鑽と体験記」1905)
天崎浩二編・訳/関根裕子共訳「ブラームス回想録集③ブラームスと私」(音楽之友社)P215

あくまで当人の主観ゆえ、人間としてはもちろんのこと、二人の、音楽家としての優劣はここでは云々できない。

それにしても面白い。人間の感性は千差万別。
記号の読み取り方も様々。なるほど、解釈に良し悪しはないことを知る。
形のない音楽にとって、楽譜は単なる記号に過ぎない。楽譜に忠実であれという原典主義とは一体何をもっていうのだろう?

「感動的」というありきたりの表現で良いのだろうか?
録音の力もあるだろう、いっそのこと「人工的」と言ってしまっても良いのかもしれない。それくらいの「作為」は確かにある。しかし、これほど温かい、血の通った演奏が他にあるのだろうか?

蠢く低音部を具に追うと、この人の音楽作品の解釈が、いかに人間の生命活動に忠実にリンクしたものであるのかがよく理解できる。楽器のバランスといい、テンポの猛烈な伸縮といい、あるいは予想外の音の強弱など、どこをどう切り取っても「自然」しか感じさせない奇蹟。または、その再現を「肉感的」と表現しても良いのかもしれない、それくらいに音楽は僕たちの呼吸や心拍と見事に一致する。

老練のレオポルド・ストコフスキーが、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と録音したチャイコフスキーの交響曲第5番は、独自の解釈の下、想像を超えたエネルギーを内在する、もはや説明不要、問答無用の名演奏。言葉が見つからない。

・チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64(1966.9録音)
・ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(ストコフスキー編曲)(1965.9録音)
アラン・シヴィル(ホルン・ソロ)
レオポルド・ストコフスキー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

そして、激しくうねり、咆哮するストコフスキー版「展覧会の絵」。自らの手になる編曲ゆえやりたい放題だが、どの瞬間も非常な説得力があり、大地を揺るがす荒々しい響きは、人口に膾炙したモーリス・ラヴェルのそれを大きく上回る。
「キエフの大門」に至る過程の諸曲(「チュイルリーの庭」と「リモージュの市場」はカットされている)は人間的で田舎臭く(?)、その分近づきやすいが、終曲「キエフ」は、とことん人工的かつ外面的で、それがまたムソルグスキーの魅力を徹底的に抽出するのだから面白い。

ガールトマンの遺作展が開催されたのが1874年2月から3月に掛けてであったから、それからわずか3ヶ月後には、このピアノ組曲が完全に出来上がっていたことになる。絵を見て回る作曲者自身の自画像でもある「プロムナード」の4つの性格的変奏と大小10曲の情景描写とを組み合わせた、演奏時間30分にも及ぶ、変化に富む大作である。この曲はまた、彼がどれほど集中して作曲に打ち込むことのできる作曲家であったかを示すものにもなっている。しかし、この直後の6月29日には、当時、彼の母親代わりともなっていたオポチーニナが亡くなって、彼は深い精神的衝撃を受けた。従ってほんの1週間も曲の完成が遅れていたら、この曲の運命もどうなっていたか分からない。
森田稔著「ロシア音楽の魅力―グリンカ・ムソルグスキー・チャイコフスキー」(東洋書店)P123-124

少なくとも原曲のピアノ版は奇蹟の名作だということ。
ちなみに、ムソルグスキー存命時は、出版はおろか演奏すらされた形跡がないらしい。ムソルグスキーの天才は、時代の何十年も先を行っていたということ。

ところで、チャイコフスキーとブラームスは誕生日が同じ5月7日。「誕生日大全」の『隠された自己』には次のような記述が・・・。

天性の傑出した能力に自制心を加えることで、美術、音楽、演劇を愛する感情を具体的な自己表現のかたちに変えることができます。
サッフィ・クロフォード+ジェラルディン・サリヴァン著「誕生日大全」(主婦の友社)P164

納得。

 

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