ラウラ・ノッキエーロ~ショパンと印象派の夕べ

2012年はドビュッシー・イヤー。
にもかかわらず、僕としたことがコンサートでドビュッシーに触れたのは今年初かもしれない・・・。

「霧」の最初の音を聴いた瞬間、何て色彩豊かで原色のドビュッシーだろうか、と思った。
梅雨時の今日の空模様の如く、雲がかかり、時折パラパラと小雨が肩を濡らす。と思いきや、突然陽光が差すようにあっという間に明るく澄んだ空気になる。そう、これは間違いなく風光明媚なイタリアの描写。

1年で最も日の長い日。そして高い湿度と気温によって蒸し返されるようなこんな日に、こういうドビュッシーが聴けるとは天の配剤か、それとも僕の持って生まれた幸運か。
数年前、僕にクロード・ドビュッシーの世界への扉を開いてくれたのは加納裕生野のピアノだった。あの時のプログラムも確か「前奏曲集」だったように記憶する。
作曲家の晩年の、ジャズ音楽につながりゆく音楽イディオムを最大限に駆使し、孤高の境地を示したこの曲集を一言で語るのは真に難しい。それこそあらゆるドビュッシー演奏を享受した後にようやく語ることを許されるのではないかという、それほどに神がかった至高の作品群。

ラウラ・ノッキエーロ ピアノ・リサイタル~ショパンと印象派の夕べ~
2012年6月21日(木) 19:00開演
スタインウェイサロン東京 松尾ホール

ドビュッシー:前奏曲集第2巻
・霧
・枯葉
・ヴィーノの門
・妖精は素敵な踊り子
・ヒースの茂る荒地
・変わり者のラヴィーヌ将軍
ショパン:
・ノクターン第15番ヘ短調作品55-1
・バラード第2番ヘ長調作品38
休憩
ショパン:
・ノクターン第11番ト短調作品37-1
・幻想即興曲嬰ハ短調作品66
ドビュッシー:前奏曲集第2巻
・月光の降り注ぐ露台
・水の精
・ピクウィック卿をたたえて
・カノープ
・交替する3度
・花火
アンコール~
ドビュッシー:
・野を渡る風(かな?ちょっと定かでない)~前奏曲集第1巻
・ミンストレル~前奏曲集第1巻
ラウラ・ノッキエーロ(ピアノ)

ラウラさんの演奏はこれまた随分ハードルを下げてくれる、そんな余所行きでないリラックス・ムードの中で力強さと繊細さが上手くミックスされていた。
興味深いのは、前半の流れの中で、ドビュッシーとショパンの合間に通常だったらばピアニストが一旦立ち上がって一礼するところを、少しの休止を置いてすぐに次のショパンを弾き始めたところ。ひょっとすると、彼女はドビュッシーとショパンを同じパレット上で描こうとしてそういう演出をしたのかと思ったけれど、後半の方は幻想即興曲が終わるや拍手が起こって一礼があったから、気のせいかもしれない(笑・・・多分、ドビュッシー作品にそんなに強くない聴衆が拍手を忘れたものだからピアニストはそのまま演奏に入ったのかも)。いずれにせよショパンのようなドビュッシーで、ドビュッシーのようなショパンで・・・、すごく面白かった。

驚きはショパン。実にテンポの伸縮が激しいロマンティックな解釈で、久しぶりにこういうショパンを聴いて、随分楽しませていただいた。それと、実に迫力のある音!


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

ドビュッシーの前奏曲集は、第1巻ではなく第2巻が聴けたのがよかったですね。

ドビュッシーを聴くと、音楽とは、風と同じく大気の動きであることを実感します。

その時発生し、すぐに消滅する、その瞬間だけの真実・・・、それだけでいいのだと思います。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>ドビュッシーを聴くと、音楽とは、風と同じく大気の動きであることを実感します。
>その瞬間だけの真実

第2巻を聴いていて、ドビュッシーがその後の現代音楽やポピュラー音楽の方法を完全に先取りしている「祖」だということを再確認しました。おっしゃる通り第1巻でなく第2巻で良かったです。

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