アーベントロートのチャイコフスキー交響曲第4番を聴いて思ふ

tchaikovsky_schumann_abendroth作品には本人が意識せずともその時の状態が克明に顕れるものだ。いや、むしろ状態が悪い時であればこその作品であり、創造者は逆に「苦しみ」を意識して、それを音符に認めるのだ。

それにしても何という壮絶な音楽だろう。それほどまでに彼は苦しんだのか・・・。その道を選んだのは自分自身であるにもかかわらず。

1877年7月6日、チャイコフスキーはアントニーナ・イヴァノヴナ・ミリューコヴァと結婚。しかしその結婚生活もわずか80日で終わりを迎える。当時の彼の手紙には、妻を愛せないこと、自分自身を曲げることが無意味であることなど、本心が綴られる。と同時に、いかに自分が不甲斐ないかということも。自殺未遂すら起こすのだから「葛藤」は並大抵ではなかった。

ちょうどその頃に生み出された作品が歌劇「エフゲニー・オネーギン」と交響曲第4番。特に後者には、沸々と込み上げる苦悩が反映され、参考にしたといわれるベートーヴェンのハ短調交響曲さながらの解放が見事に刻印される。

ヘルマン・アーベントロートの録音を聴いて、終楽章アレグロ・コン・フォーコの音楽の竜巻に度肝を抜かれた。何という激しい金管群の咆哮。そして、それに追随する木管群と弦楽器群の静かなやりとりを伴奏に幾度も金管が唸る・・・。コーダはそれこそ崩壊寸前で、怒涛のようだ。アーベントロートはチャイコフスキーの自らへの怒りまでをも表現しようとしたのか。

・チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36(1949.9.18録音)
・シューマン:交響曲第4番ニ短調作品120(1951.2.13録音)
ヘルマン・アーベントロート指揮ライプツィヒ放送交響楽団

第3楽章についてのチャイコフスキーの説明文。

われわれが酒を飲んでいささか酩酊した時にわれわれの脳裏にすべりこんでくるぼんやりした姿です。その気分は陽気になったり悲嘆に満ちたりクルクルと変わります。
「作曲家別名曲解説ライブラリー8 チャイコフスキー」P37

ピツィカートで奏されるこのスケルツォはチャイコフスキーの束の間の夢だ。まさに本人の「酩酊状態」という言葉が相応しい。アーベントロートの演奏は静かに囁くようで、実に優しい。当時の東ドイツの録音はソビエトのそれと同様決して良好とはいえないものの、同時代のムラヴィンスキーのものと比べ、聴きやすい。

数分後、この夢も突如金管の阿鼻叫喚によって破られる・・・。

シューマンの方は、後の録音にもかかわらず、どういうわけか音がこもり気味でその演奏の真意が伝わり切らない。悲劇的で濃厚なこの音楽を、アーベントロートは感情をたっぷり込め、導入でいきなり僕たちの心を鷲づかみにしようとするのだが、それこそ舞台裏で鳴らされているようなもどかしさ。主部に入ってテンポが速められ、いかにも「すごい」音楽が披露されるだけに残念でならない。

 


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