酔い覚ましにバッハ~ヴィヴァルディへのオマージュ

急遽、自由ヶ丘で飲んだ。
そろそろ梅雨も明けるのか、少しばかりの湿気を伴った灼熱の中、自転車での移動は断念して、途中地下鉄に乗った。今の時期、自転車を駆るのは気持ち良い。特に夜半に冷たい風を切って走るのは最高。

先日からモーリス・ベジャールが森下洋子とジョルジュ・ドンのために振付けた「ライト」の中のパ・ド・ドゥの音楽が気になっている(もう20年以上前から気にしているのだけれど・・・)。ヴィヴァルディの作品3あたりをしらみつぶしに聴いてもどうやら該当するものがない。とはいえ、膨大な協奏曲群からひとつの緩徐楽章を探すのは大変じゃないにせよ根気は要る。時間の問題で解決するとは思うが。

J.S.バッハは自身の芸術的発展に関し、ヴィヴァルディの「調和の霊感」作品3から強烈なインスパイアを受けたという。それほどに当時の音楽家は皆この音楽に触発された。バッハの偉大な音楽があるのも、ひいてはモーツァルトやベートーヴェンが存在するのも、すべてはアントニオ・ヴィヴァルディが数多の傑作たちを残したからだといえようか。

ところで、バッハはいくつものチェンバロのための協奏曲を作曲しているが、ほとんどが自身の別の作品からの転用である。しかしながら、ある1曲のみ他の作曲家、すなわちヴィヴァルディの作品をそっくりそのまま借用しており、それがまた完璧に彼の作品として通用するかのような趣きゆえ、何ともそのあたりにもバッハの天才を見るのである。
その1曲とは、4台のチェンバロのための協奏曲イ短調BWV1065(原曲はヴィヴァルディの4つのヴァイオリンのための協奏曲ロ短調作品3-10、それにしてもこの映像は圧巻)。ヴィルトゥオジティに富んだ素敵な作品。もちろんそれは原曲が偉大なのである。

J.S.バッハ:
・4台のチェンバロのための協奏曲イ短調BWV1065
・3台のチェンバロのための協奏曲ハ長調BWV1064
・3台のチェンバロのための協奏曲ニ短調BWV1063
トレヴァー・ピノック、ケネス・ギルバート、ラルス・ウルリク・モルテンセン、ニコラス・クレーメル(チェンバロ)
トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュ・コンサート(1981録音)

どうしてバッハは1曲のみヴィヴァルディから借りたのか?あくまで推論のようだが、若き日に自分の芸術をより高みに昇華させてくれたヴィヴァルディ、すなわち恩師(もちろん2人は会ったことがないから厳密には恩師とは言えないが)へのオマージュだったという見方が強い。
その意味ではバッハはイメージ通りだ。厳格で情に厚く、実に心優しい。
バッハの器楽曲はある意味キリスト教的信仰心の枠の外で創作されたものだろうから(もちろん本人の宗教心は変わらないわけだから厳密にはそんなことはあり得ないけれど)、何でもありの「自由さ」を謳歌する。

2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

ヴィヴァルディの曲もバッハが編曲すると、音楽がより緻密で深みを増しますよね。ご紹介の盤なども大学時代LPで擦り切れるくらい聴きました。もちろんBWV1065についてはヴィヴァルディの原曲と楽譜を照らし合わせ比較しながら・・・。

・・・・・・バッハのポリフォニーの奇蹟はまったく外に例の無いものです。単にその時代でというのではなく、あらゆる時代を通じてなのです。・・・・・・マーラー

・・・・・・とても口では言い表せないほど、バッハから次々と、しかも回を増すごとにいっそう多く学んでいます(もちろん子供のころからバッハに教わっているわけです)。というのも、自分自身のもって生まれた音楽の作り方がバッハ的なのです。この最高のお手本に没頭できる時間さえ、もっとあったなら・・・。・・・・・・マーラー

バロックの作曲家の音楽は、ヴィヴァルディにしてもヘンデルにしても、私の好きなテレマンも、何があってもくよくよしない、基本的には大らかな楽天主義が魅力であると感じています。その意味では、内向性に大きく傾いたバッハの曲の持つ資質のほうが、バロック音楽としては異端なのかも。

ところで、ヴィヴァルディは、ベネツィアではなく、なんとなんと、ウィーンに埋葬されたそうです!!
http://konotabi.com/wientour/wientour11otherfriedhof/wientour11other.htm

ヴィヴァルディの超人的な行動力とポジティブ精神を、多くの人が使う言葉の浅い意味ではなく、真の意味で引き継いだ音楽家もまた、意外なことにマーラーだったのだと、昨日生まれて初めて「千人の交響曲」の実演
http://mahler.nagoyaongakunotomo.or.jp/ja/part2/201207
を聴いて気付かされました。

私は仕事や家族などの諸般の事情で出演を断念しましたが、友人も多数参加したこの演奏、出演者全員の曲への強い思い入れが巨大なポジティブ・エネルギーの開放と化し、見事の一語に尽きる圧倒的な超名演になりました。今回も随所で度肝を抜かれ鳥肌が立ちました。

・・・・・・伝統とは怠惰のことだ。君たちが「伝統だ」と主張していることは、「今までどおりにやって楽をしたい」という意味でしかない。・・・・・・マーラー

これぞバロック本来の精神!!!

本日2日目も行きます!!

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
なるほど、マーラーですか!!
ヴィヴァルディがバッハを経てマーラーにつながるとは!!
確かにいわれてみるとそんな気がします。

それと以前から話題にされていた「一千人」は昨日、今日だったのですね。
いやあ、さぞかし素晴らしい舞台なんでしょうね。羨ましい限りです。
雅之さんが演奏されなかったというのは残念ですが。

>伝統とは怠惰のことだ。君たちが「伝統だ」と主張していることは、「今までどおりにやって楽をしたい」という意味でしかない。・・・・・・マーラー

>これぞバロック本来の精神!!!

同感です。
ところで、ヴィヴァルディのお墓の件、僕も先日の講座の準備をしているときに知りまして、衝撃を受けました。
てっきりヴェネツィアだと思っておりましたから。彼の最後の1年というのはあまりよくわかってないらしいですね。その意味でも興味深い音楽家です。

本日、マーラー8番の2日目、一層素晴らしいものになるんでしょうね。またぜひご感想をお聞かせください。

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