二人は実は恋人同士なのではないかと思ったくらい。
ヴェンゲーロフの包み込むような優しさと癒しと、グリモーの決して出過ぎない楚々として美しいピアノの音色に触れ、僕は心底満たされた。彼らは初共演らしいが、ともかく見事な息の合い様。丁々発止、火花散るというものではなく、どこまでも調和し、音楽を大きく、そして弛みなく表現する極意。何て伸び伸びとした音楽なのだろう。音楽というのは何と愉しく、そして美しいものなのだろう。
大地の音楽と空の音楽がシナジーを生んだ。
ブラームスの冒頭、エレーヌ・グリモーのピアノの前奏からして健気で愛らしい。
あくまで主役はマキシム・ヴェンゲーロフだと言わんばかりに彼女は音を抑え、影に徹する。そこにヴェンゲーロフの柔らかで清らかなヴァイオリンが、これまた繊細で、それでいて実に濃厚な響きを魅せるのだから堪らない。
円熟期のブラームスの、一部の隙もない音楽から、表現し難い色香が溢れる。
第2楽章アンダンテ・トランクィロの夢見るような響き。またヴィヴァーチェでの勢いある確信に満ちた音。交互に現れるブラームスの二面をヴェンゲーロフは見事な感性のコントロールにより歌い上げる。何と言っても静音の素晴らしさ!!
そして、終楽章アレグレット・グラツィオーソのブラームスらしい内なる熱情を誠実に表現するヴェンゲーロフに対し、奔放に弾けるグリモーのピアノ。
ブラームスの神髄を突いた最高のパフォーマンス。
あるいは、ラヴェルのソナタの色めくあの芳香。
音楽をしっかりと支えるグリモーに、終始丁寧に音楽を乗せるヴェンゲーロフの誠実さ。どの瞬間も、とても初めてのカップリングとは思えない「間」の素晴らしさに僕は言葉を失った。また、音楽が熱を帯びるにつれ、いよいよ二人はひとつになってゆく。
特に、第2楽章ブルースは冒頭ピッツィカートから洒落ていて、あのどこか懐古的な音楽がタイムマシーンの役目を果たすように、僕の意識はある意味朦朧と、別世界に誘われた(終楽章アレグロの狂騒にはどういうわけか静けさを思った)。
ヴェンゲーロフは巧い。グリモーが泣かせる。
第4回マキシム・ヴェンゲーロフ フェスティバル2016
ヴェンゲーロフ&グリモー デュオ・コンサート
2016年5月21日(土)14時開演
東京オペラシティコンサートホール
・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004
・イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第6番ホ長調作品27-6
・エルンスト:夏の名残のバラ(庭の千草)による変奏曲
休憩
・ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100
・ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタト長調作品77
アンコール
・ラフマニノフ:ヴォカリーズ作品34-14
マキシム・ヴェンゲーロフ(ヴァイオリン)
エレーヌ・グリモー(ピアノ)
客席は限りなく暗く、ステージ上もわずかなスポットでヴァイオリニストを照らす厳粛な儀式。最初のバッハのパルティータには心底痺れた。凄かった。一本のヴァイオリンが、ゆったりとした遅めのテンポで丁寧に音を紡いでゆく様に、とても人間が奏しているとは思えない宇宙を見た。音は空気の振動だが、宙から音を引き出し、そして宙に差し戻すように音楽がまさに目の前に生れる妙。どこから湧いているのだろう?
とにかく思考や感情を超越しているのである。
バッハのこの音楽にある峻厳さは吹っ飛び、最初から最後まで「子守歌」のように響いた。ヴェンゲーロフの音色は、バッハの漆黒の小宇宙に色彩を添えた。
第1曲アルマンドも第2曲クーラントも純白の音を呈していた。静けさと一切の濁りのない音楽。
虹色のように輝く「シャコンヌ」の崇高さにひれ伏した。おそらく僕が実演で接した同曲の中で一、二を争う名演奏。完璧である。
ヴェンゲーロフは一旦下手袖に下がり、再び登場。続けて奏されたイザイとエルンストはエネルギッシュで濃密な情念を秘めた音楽。超絶技巧をひけらかすのでなく、あくまで謙虚にそして丁寧に紡がれる旋律が、聴く者の心に突き刺さる。
ちなみに、アンコールは「協奏曲の夕べ」同様、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。
あの可憐で悲しい旋律が、ヴェンゲーロフとグリモーによって一層美しく奏された。
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