宇野功芳指揮新星日響の「功芳の艶舞曲」(1994.4.13Live)を聴いて思ふ

koho_uno_gold_and_silver561「功芳の艶舞曲」と題する1994年のライブ盤は、同年の日大オケとのブルックナー9番とあわせ、ご本人の愛聴盤だったらしい。
愉悦に満ちる、様々な仕掛けを擁する小品集。デフォルメ含めやりたい放題でも一切の違和感なく滅法面白い。
何と生命力漲る音楽であることよ!!

僕が宇野功芳さんの文章に瞠目したのは、高校生の時に読んだ「レコード芸術」1981年3月号の「読者から評論家への問いかけ」という、晩年の氏の論調とは明らかに異なる特集の一文であった。ちなみに、ある読者の宇野さんへの質問は以下のとおり。

先生の文章には個性があり、それ自体大変面白く拝見しているが、時として疑問を持つことがある。その最たる例が「精神性云々・・・」というくだりである。特にドイツ音楽の多いと感じる。「精神性」という大袈裟な表現が本当に必要なのだろうか。もし必要ならば、その意味と例をあげていただきたい。

これに対し、宇野さんの回答は冒頭、次のように切り出される。

音楽にしろ、絵にしろ、すべての芸術において、ぼくは精神性が不可欠なものだと思いますし、従って、精神性という言葉が大袈裟だなどと、考えたこともありません。
~「レコード芸術」1981年3月号P168

こういう竹を割ったような言い回しは10代の僕を虜にした。さらに氏の、次のような論に僕は心から感銘を受けた。

そして、これらの実在の生命は、鑑賞するものの心眼が開かなければ、容易に感じ取れないものであるに違いありません。それは目に見えないものだからです。
神を信ずるには貴重な体験が必要でしょう。いくら知的に考え、頭で理解しようとつとめても、神を信ずることは出来ません。芸術も同じです。その人に芸術的な感動がなくては駄目なのです。音楽を単に愉しもうと思っている人には、音楽の愉しい面しか分からないでしょう。それで満足できる人は良いでしょうが、そのことで音楽のすべてが分った、と思うのは勘違いなのです。
真の芸術家がつかんでいる、この宇宙の神髄を、一般ファンがつかむのは容易なことではないと思います。よほど心境が開けていないと外形の美しか受け取れないからですが、それは音楽の勉強をいかに沢山しようと知り得ぬものです。芸術家の生き方なり理想に対応するものがなければなりません。むずかしいことかも知れませんが、同じ人間なのだから出来る筈なのです。また、宇宙の神髄に少しでも近づこうとする意志がない人に、芸術は所詮無縁なものになり終るでしょう。
~同上誌P169

「宇宙の神髄」に少しでも近づきたいと心底僕は思った。こういう形而上的で、多少小難しい口調ながら、言いたいことが手にとるようにわかる文章に僕ははまった。

そして、それから10数年を経て聴いたこの小品集に、愉悦だけでない苦悩や哀感までをも表現しようとする作曲家の深層を見事に抉り出す宇野さんの指揮棒の炸裂を僕は見たのである。
アクセルとブレーキが交錯し、揺れる「こうもり」序曲の快感、コーダの猛烈なアッチェレランドの興奮!!
また、大交響曲に匹敵する「舞踏への勧誘」の、それこそ精神性!!
嘲ることなかれ、侮ることなかれ。どの作品も堂に入り、一筋縄ではいかない遊びがあり、しかもそれが大いなる説得力を持っているので、20余年を経た今も輝き続けるのである。

功芳の艶舞曲
・モーツァルト:3つのドイツ舞曲K.605
・ウェーバー:舞踏への勧誘ニ長調作品65(ベルリオーズ編)
・ブラームス:ハンガリー舞曲第5番嬰へ短調
・ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」作品164
・ヨハン・シュトラウスⅡ世:ポルカ「クラップフェンの森で」作品336
・ヨハン・シュトラウスⅡ世:喜歌劇「こうもり」序曲
・レハール:ワルツ「金と銀」作品79
宇野功芳指揮新星日本交響楽団(1994.4.13Live)

特にここ数年、僕は宇野さんの書く文章にあまり魅力を感じなくなって、すっかり離れてしまっていたけれど、クラシック音楽の愉しみを教わったのは紛れもなく氏の数々の文章からであり、月並みな言い方しかできないけれど、今は本当に感謝の念でいっぱい。

ところで、今、僕はどういうわけか悲しくない。
死というものが生きとし生けるものの必然であり、ましてやそれが寿命であるなら祝うべきことのようにも思うから。
宇野功芳さんのご冥福をお祈りします。

 

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3 COMMENTS

雅之

>特にここ数年、僕は宇野さんの書く文章にあまり魅力を感じなくなって、

>ところで、今、僕はどういうわけか悲しくない。

同感です。あの日、どうやらお互い、虫の知らせが確かにあったようですね。

http://classic.opus-3.net/blog/?p=20855#comments

そこで、ジョブズの言葉を再度引用し、この世から旅立たれた宇野さん本人にではなく、我々と同じく宇野さんに多大な影響を受けた未来あるすべての人々に捧げたいです。

・・・・・・誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。・・・・・・

スティーブ・ジョブズ 2005年6月、米スタンフォード大学卒業式でのスピーチ(日本経済新聞サイトの翻訳) より

http://www.nikkei.com/article/DGXZZO35455660Y1A001C1000000/

返信する
岡本 浩和

>雅之様

まさに!ですね。
それと、数ヶ月前からの予感というのも恐ろしいものです・・・。
ジョブズの言葉の再掲ありがとうございます。
同感です。

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