ジョー・パスのギター1本によるこのアルバムは、録音から40年近くの時を経ても決して色褪せず、というより時間を経ることでますます異彩を放つ。どんな身体を持っているのかと思わせられるほど、とにかく指がよく回る。例えば、押尾コータローだって相当なテクニシャンで(押尾コータローと比較することがそもそも間違ってるか・・・笑。ならばジム・ホールのそれ)、初めてその演奏を聴いたときは卒倒するほど感激したものだが、それとはまた異質の、華麗だけれど重心のとっても低い、そしてあくまでもリラックス・ムードの中で全てを出し切っている、そんな印象の残る傑作である。
日中、少しばかりのんびりした。
夏らしい蒸し暑さが戻ったような感じ。
久しぶりに床のふき掃除をした。たったそれだけで気持ち良くなる。
そういえば、一昨日、ワークショップの中で、いつもは「将来の夢」というテーマでセッションをやるのを、ふと思いついてテーマを変え、「今幸せなこと」というテーマでやってみた。中学生や高校生が相手だからというのもあったかもしれないけれど、これが実に反応が良かった(ように僕には感じられた)。「足るを知る」という言葉があるが、よく考えてみると実に「幸せだ」と思えることはたくさんある。いや、むしろ感謝できることばかりだと言って良い。子どもたちの世界にもいろいろある。大人にはわからないだろういろいろ・・・。不満や愚痴をこぼす前に、今置かれた状況がどれだけ有難いことかを考えると随分楽になれるんじゃないかという思いで、会を進めた。結果、とても良かった。
Joe Pass:Virtuoso(1973.8.28録音)
Personnel
Joe Pass (g)
嗚呼、心に染み入る。
人間一人一人、月並みな言い方をするなら個性があり、そして誰にでも無限に拡がる能力がある。そういうものを子どもの頃に潰されない社会にできたらどれだけ良いか。昨日ワークショップに参加した広島の俊介君(高校2年)は、アンケートに小さな文字で「講座の先生の考え方と自分の考え方がすごく同じだったことは驚きました」と書いてくれた。
具体的にどういう考え方のことを指しているのか聞いていないので真意はわからないが嬉しかった。
彼は、一般の視点で見ると少し問題児に映る。とても素直で良い子なのだけれど、特に他人にはほとんど口を開こうとしないし、自分の感じたことや思ったことをきちんと表現することを苦手としている。もちろんお母さんに言われてワークショップに参加しているのだが、本人にも問題意識はあるようで、同じくアンケートには「人の接し方や会話など、受講する前は全く出来ませんでしたが、受けた後はなにか理解できた気がします」とも書いてくれた。
おそらく子ども同士の間でも問題は起きていると思う。ひょっとしたら教師ですら彼のことを上手く扱えていないのかも。彼と接していてあらためて考えのは「待つこと」。ひとそれぞれペースや事情があるということを理解することかな、特に大人は。じっくりと時間をかけてフォローし、褒め、成長を見届ける。本当に勉強になる。
ギターという楽器は興味深い。時にリズムを刻み、時にメロディを奏でる。表にも立てれば裏方としても万能の楽器だ。個性と無限の可能性と。ジョー・パスのソロ・ギターを聴きながらどんなことを思った。
おはようございます。
誰が言ったのかは知らないけれど、「幸福は自己満足。不幸は被害妄想」は、至言ですね。
でもね、
(問)次の文章を読んで、200字以内で感想を述べよ。
・・・・・最近、老荘思想が若者の間で流行っている、という記事を目にして「草食系もここまで来たのか」とちょっと驚いたことがあります。今までも「足るを知る」といった言葉を下敷にした書籍の広告を、よくマスコミで目にするなあとは思っていたのですが…。
しかし、こうした風潮は、危うい面があるのではないかと筆者などは感じています。なぜか、といいますと、そもそも「足るを知る」という考え方は、時々の権力者や強い立場にいる人間に向けた訓戒に他ならないからです。
この言葉を聞いて、「そうだよな、求めてばかりはいけないな」と感じられる人は、そもそも「もう満足してもいいや」と思えるだけの何かを、すでに持っている人なのです。ちょっと極端な例を使いますと、“派遣切り”にあって、明日眠る家もない人に向かって、
「足るを知ることが、重要だよ」
と説いたとします。聞いた人が「そうだよな」と納得するかといいますと、「ふざけるな」と怒って、ぶん殴られるのがオチではないでしょうか。
要は、この言葉に共感する人が多いというのは、今の日本人がなんだかんだいっても、振り返って満足できる何かを持っている人が多いという証なのです。かつて『清貧の思想』という本が大ベストセラーになりましたが、時あたかもバブル景気の余韻が濃厚に残る1992年。これも、みなが貧しければ「清貧」なんて、流行りようがないという話とまったく同じになるわけです。
とはいえ、ちょっと考え方を変えれば幸せを感じられるなんて、良い話じゃないか、と思えるかもしれません。しかし、ここには大きな問題があります。まず、いま手にしているものだけで下手に自足しようとすると、結局それを使いつぶして終わってしまうだけになりがち、というのが第一点。
第二点めは、この言葉を下手に弱い立場の人間が旨としてしまうと、結果的に強い立場の者ばかりが利益を得てしまいがちだ、ということです。
つまり、一般庶民や、貧しい人たちのなかに「足るを知る」「止まるを知る」を旨とする人が増えていけばいくほど、「持てる者」の立場が安泰になっていくのです。なぜなら、「取って変わってやろう」とか「あいつばかり富や名誉に恵まれるのは許せない」といった庶民の嫉妬心や向上心を緩和してくれる役割を、この教えは果たしてくれるからです。そして、『老子』はまさしくこうした効果を狙った古典でした。
あまりにも老荘思想の世間的イメージ――白ひげをはやしたお年寄りが大自然に佇むといった――とかけ離れてしまっているので、驚かれる方もいるかもしれません。しかし
《老子の思想は、往々にして弱者を擁護し、敗北者を慰める趣旨と考えられている。しかし、それはまったくの誤解であって、むしろ強者、あるいは強者たらんとする人に対する訓戒を第一義とするものである》『老子入門』楠山春樹 講談社学術文庫
という指摘もあるように、こと『老子』の立ち位置に関する限り、こうした解釈は研究者の間では特に珍しいものではありません。・・・・・・ 「足るを知る」に騙されていませんか
渋沢栄一を経てグローバル化した『論語』の旅をたどる〈3〉守屋 淳 「日経ビジネスオンライン」より
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100514/214426/?rt=nocnt
僕は、若い人については、「ふざけるな」と怒ってぶん殴る感覚のほうが、至極真っ当だと思う。
良くも悪くもこういう社会にしてきた責任は、100パーセント大人の側にあります。
若い人達には、ハングリー精神とか、社会の不正や偽善に立ち向かう姿勢を絶対に失って欲しくないなあ(特に原発の問題とかね、絶対に抵抗するべき)。年寄りの無責任さの大罪を糾弾して欲しい。それが結局、明日のより良い社会を切り開く活力に繋がると思う。
たとえ反骨精神を誇るいい大学を出ても、社会に骨抜きにされてさんざん甘い汁を吸ってきたような、(例えばバブル世代の)ずるくいい加減な大人達に、いいように丸め込まれたらだめだと思う。
>雅之様
おはようございます。
いただいたコメント全くその通りだと思います。
言葉というのはその時その状況の前提があって発せられるもので、状況や時が変われば意味が違ったものにもなります。あるいは理解不能にもなる。
>若い人については、「ふざけるな」と怒ってぶん殴る感覚のほうが、至極真っ当だと思う。
同感です。
しかし、今回の記事は、例えば学校や友達のせいにして登校拒否を起こす女の子、物事を否定的にしか捉えられない女の子たちに、視点を変えてみると幸せなことっていっぱいあるんだと、そこに気づいてみてごらんという意味合いを込めたものでした。
「足るを知る」というのも、すでに能力や人とは違った視点を持っていて素晴らしい自分なのだから「自分はダメだ、最低だ」と自己否定しない方が良いよという思いでいろいろ話したことを、ふとその言葉でくくってみたものです。
>若い人達には、ハングリー精神とか、社会の不正や偽善に立ち向かう姿勢を絶対に失って欲しくない
おっしゃるとおりですね。
>(例えばバブル世代の)ずるくいい加減な大人達に、いいように丸め込まれたらだめだと思う。
ごもっとも。
言葉の前提状況、了解しました。
大変失礼し申し訳ございませんでした。
心よりお詫びいたします。
「足るを知る」とは、ただ現状に安住することではないですよね。自分が欲するもの、必要なものをきちんとわきまえた大人が、それに見合った行動の末に得られる境地ではないでしょうか。
子供たちには、野心も謙虚さも併せ持つ、そんな大人になって欲しいものです。
野心も謙虚さも併せ持つ、そんな大人たちを本気で満足させる一枚。それが、「〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇」です。
http://special.nikkeibp.co.jp/ts/article/a0ab/107525/mitsuisumitomo.html
「日経ビジネスオンライン」より
>雅之様
こんばんは。
>心よりお詫びいたします。
いえいえ、とんでもございません。日々刺激をいただきまして真にありがとうございます。お礼を言いたいくらいです。まぁ、しかし、これはブログに限らずメールなどでもそうですが、語られる背景や文脈を読み手に完璧に理解できるように書くのは至難の技だとあらためて思いますね。そういう点では昔の文豪、小説家の方々などの描写能力には感服します。
>自分が欲するもの、必要なものをきちんとわきまえた大人が、それに見合った行動の末に得られる境地
おっしゃるとおりですね。
>「〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇」
お、宣伝ですね!(笑)