解脱者ベートーヴェン

その肖像からは想像もできない、一般的にイメージされる人物像とはとてもかけ離れた性格だったのかも。ライオンのたてがみのようなぼさぼさ頭で、鋭い眼光を向けるかの肖像画は有名なものだけれど、僕が思うに実物からは相当に程遠い。
果たしてそのことは第5交響曲や「皇帝」協奏曲や、雄渾で劇的な音楽から想起されるイメージに近いが、そんなのは彼の一部に過ぎない。
ベートーヴェンの緩徐楽章には、哀しみを湛え、そして柔らかに心に染み入る旋律や魂までをも震わせる音調をもったものが多い。「幽霊」トリオのラルゴだってそう、「皇帝」のアダージョもそうだ。第9交響曲のアダージョ楽章の崇高な美しさはこの世のものとは思えぬほど(その意味では「ハンマークラヴィーア・ソナタ」のそれもそうだ。他にもたくさん)。

作品101のソナタを献呈されたエルトマン男爵夫人ドロテアが、子どもを亡くし悲嘆に暮れていた時、ベートーヴェンは彼女を自宅に招待し、「さあ、一緒に音楽で話をしましょう」と1時間余りもの間ピアノを弾き続けたというエピソードがある。
彼はその時どんな即興演奏を披露したのだろうか。ドロテアが後々まで懐かしそうに語るほどだからとても素晴らしいものだっただろうことは間違いない。

そうかと思うと、とても責任感の強い、父親的側面も彼にはある。弟のカールが息子(甥カール)を残して亡くなった時、弟の妻ヨハンナとの間で後見人問題が起こった。そこでは、教養のないヨハンナには甥の教育は任せられないと法廷で争い、結果勝訴した。(裁判所はベートーヴェンの訴訟が少年の幸福のためというより彼自身のヨハンナに対する不信という感情的なものと判断したらしいのだが)

いかにも人間っぽい。こういう感情の起伏。それらが彼の音楽に、そう、堅牢な形式の中に、しかし革新的にかつ見事に封じ込められ、音楽として機能する様。
激昂するベートーヴェン。優しいベートーヴェン。僕はベートーヴェンのいずれの側面も好きだ。そういうベートーヴェンのすべてを感知したくて彼の音楽を聴くのである。

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」
スメタナ四重奏団(1978.5.29-31録音)

第2楽章アレグレットは初演当時の聴衆から「冗談」扱いされたそうだ。
いやいや、こういう諧謔精神がベートーヴェンのひとつの側面。しかし、1800年代初頭では相当革新的だったということだ。
そしてその後に続く「アダージョ・モルト・エ・メスト」の天国的な美しさ(解脱が始まりつつあるのか)。アタッカで奏されるフィナーレとの対比。
久しぶりに耳にしたスメタナ四重奏団のベートーヴェンは重心の安定度が抜群で、今聴いても、いかにもベートーヴェンらしい雄大さと柔和さをの両側面をうまく捉えている点に安心感が持てる。
この音盤、CD黎明期に購入したもの。購入順からしておそらく10番に満たない、僕の中でもかなり初期のもの。


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