不思善悪

beethoven_6_walter_vpo.jpg朝から4月上旬のベンチャー企業新人向研修の資料作りと週末の「音楽講座」のまとめ。天気も良く気分も良く相応に捗る。
午後、新宿のホテル・センチュリーサザンタワー20 階にていつものように個人セッション。M君と待ち合わせ1時間半ほど語る。最近思うのは、人間は変わる必要はないということ。というより根本的な資質や性格は変えられない。それよりも長短含めて全てを受け入れ、認める姿勢が大事だということ。そこに気づき受容できるようになるだけで自ずと変化するのである。ゆえにトレーニングというものは不要だ。然るべきスイッチのあり場所とOnにする方法さえ教示すれば人は自ら成長していくものだ。

そんなことを考えているとちょうどKさんから電話が入り、話したいことがあるという。せっかくなので広くなったという赤坂の事務所に伺うことにし、新宿から青山一丁目に向かう。1時間半ほど話を聞き納得。面白い展開になりそうだ。その時に聴いた話で印象に残ったこと。

禅宗の六祖慧能の残した言葉「不思善、不思悪」(「無門関」西村恵信訳注~第23則)
これはすなわち、物事を善悪、美醜など相対的に価値付けをするのではなく、そのことの本質、もっと言えば自分自身の本来の姿を人間本来無一物の世界に引き下げて自分を見つめ、改めて出直すことをいうのだが、こういうことも最近の「人間力向上セミナー」を通じて考えていたことであり、全くもってagreeであった。要は真理にいかに近づくかがポイントということだろう。

ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」(1936)
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

週末の講座に向けてとことん「田園」交響曲を聴く。普段滅多に聴くことのないワルターの戦前のウィーン盤を久しぶりに取り出して聴く。ワルターに関しては専ら晩年のコロンビア響盤を愛聴するが、このSP復刻盤も超おススメ。針音の雑音の中から飛び出す音の魔法の如くのまろやかな響きとハーモニーは、まさに1930年代の古き良きヨーロッパを髣髴とさせる。このあと数年でヒトラーがオーストリアを併合することを考えると、これ以上考えられない最後の歴史的名演奏であり、これこそ来るべき悲劇を予知し、そうならないよう祈る指揮者の思念が如実に反映された傑作であると思う。

しかし、これほどポピュラーで人口に膾炙する楽曲であるにもかかわらず飽きがこないのはどういうことだろうか?姉妹作である「運命」交響曲などはあっという間に飽きてしまうところもあるのだが、この「田園」に関しては聴き込めば聴き込むほど深みにはまっていくように感じる。もう30年近く様々な音盤や生演奏で聴いてきたが、そんな風に感じたことはおよそなかったから不思議だ。ベートーヴェンが19世紀初頭に警告した「自然賛歌」の音楽を21世紀の今あらためて受容し、熟考するべきときなのだろう。

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