歌劇「レオノーレ」から歌劇「フィデリオ」への変遷を少しずつ勉強しながら、ベートーヴェンの内側に起こったことなどをいろいろと推論中。とはいえ、こればっかりはやっぱり本人に聞かない限りわからない。前にも書いたと思うが、「真意」は初稿にあるように僕にはどうしても思われるのでいずれにせよ台本をじっくりと読んでみて、その裏にある作曲家の思考を探ってみたいと思っている。
ところで、かの歌劇には4つの序曲が残されているが、「レオノーレ」の第2番と第3番についてはこれまで圧倒的に第3番の完成度を支持していた。でも、ここのところ第2番の持つ、荒削りでありながら魂に直接語りかけるような青年ベートーヴェンの赤裸々な心情にも大いに惹かれている。そもそもこの音楽、一般的にそれほど多くの録音がされていないように思うが、すっかりその存在を忘れていた実況盤を久しぶりに聴きそのことを確信した次第。
火を噴くようなレオノーレの内なる魂。救済と解放がテーマのオペラにして、しかも女性が男性を救うという内容。フィデリオというのはレオノーレが変装しての男性時の名前ということもあり、ベートーヴェン自身は最後まで彼女の本名である「レオノーレ」(それこそすなわち真実の姿)というタイトルに拘った。そういった事実をまさにありのままに音化した凄演。
ベートーヴェン:
・劇付随音楽「エグモント」序曲作品84(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、1953.9.4Live)
・「レオノーレ」序曲第2番作品72a(ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団、1947.6.9Live)
ワーグナー:
・歌劇「ローエングリン」第1幕前奏曲
・歌劇「ローエングリン」第3幕~「遥かな国に」
フランツ・フェルカー(テノール)(バイロイト祝祭管弦楽団、1936.7.19Live)
・楽劇「神々の黄昏」第3幕~「ブリュンヒルデの自己犠牲」
キルステン・フラグスタート(ソプラノ)(RAIローマ交響楽団、1952.5.31Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)
2004年、フルトヴェングラーの没後50年を記念してTharaからリリースされた「イン・メモリアム」と題する4枚セットからの1枚。
「レオノーレ」だけと思ったものの、つい全部をのめるように聴いた。ライブのフルトヴェングラーの魔力。
1936年、ナチス政権下でのバイロイト音楽祭の実況録音は実に生々しい。一期一会の、まるで戦国時代に千利休が茶湯で為そうとした精神が投影されるかのような繊細でありながらいわば「人間圧」の深い演奏が繰り広げられる。こんな「ローエングリン」は初めてだ。
締めはフラグスタートによる「黄昏」最終場面。地球もいよいよ終末を迎えるのか?世界は決して終わらないと思うけれど、目に見えない「何か」はきっと変わる。
これからはまさしく女性が「人類を救済する」、そういう時代になるだろう。
フルトヴェングラーのベートーヴェン、そしてワーグナーを聴きながらそんなことを思った。
今宵、忘年会でいろいろとまた教えていただいた。思うところあるのでいずれ近く記事にしようか。
[…] ン」の記録は何が何でも聴いておくべきものだ(ちなみに、この日の第1幕前奏曲は深淵から湧き上がる煌く一条の光の如くの繊細さを秘めていて、これはTahra1091で聴くことができる)。 […]