どのようにして新しい歌をマスターしたのか、と聞かれたことがある。歌い始めたころに見つけたとても効果的な方法を用いていた。それはきわめて簡単で、少しも不思議なものではない。まず初めにその歌をピアノで弾いて、それから何度もそれを終わりまで通して歌う。次にそのフレーズを、音楽のフレーズだけでなく歌詞とともに昼夜を問わず脳裏から離れなくなるまで記憶に沁み込ませる。それでも、「あれ、この音についている言葉は何だっけ？」と思い出せなくなることがある。そのときには、じっくりと腰を据えて、いつ持ち歩いている小さなルーズリーフ帳（用紙が自由にはめはずしできるもの）に楽譜から歌詞を写し取る。そこから先は、その歌を勉強して自分のものにすることは結構容易なことだった。
私は、何度もその歌詞を最初から最後まで音読した。読んでいるうちに、突然、自分が歌詞を正確に覚えていないことに気付くかもしれないからだ。そして、だめなところを例のルーズリーフ帳に書き込んだ。歌詞のことを心配しなくなると、言葉と音が私のなかで一体となってくる。すると、どこからでも自由に歌いだすことができるようになり、そのとき、その歌をマスターしたと言えるのだ。
～ルイ・ビアンコリ／田村哲雄訳「キルステン・フラグスタート自伝 ヴァグナーの女王」（新評論）P407-408
実にシンプルだが、根気のいる方法だ。
まさに「継続は力なり」という方法に、フラグスタートが努力の人だったことがわかる。
どこまでいっても透明で、かつ深みのある声質。
キルステン・フラグスタートが晩年に録音したシューベルトとブラームスの歌曲の得も言われぬ静けさに感動する。
それは、伴奏者であるエドウィン・マッカーサーのピアノの力も大きい。完璧に一つになって音楽を奏でる根底には間違いなく相互の「信」がある。
「第一級の伴奏者はほかにもたくさんいるが、彼はとても素晴らしい」と、彼らは言った。
マッカーサーが私に会いにやって来て何曲か伴奏した。彼はとても若く、まだ20代だったが、細かなところまで神経がよく行き届く演奏者だった。秋にはいくつかのコンサートが予定されていて、歌いたい曲のなかにはノルウェーの歌も含まれていた。彼はそのいくつかを弾いたが、私はとても心を打たれた。彼はノルウェーの歌をとてもよく理解しているようで、そのことがほかの何物にも増して私の心を最初からとらえた。
彼を気に入った別の理由もある。彼は長身だったので、ステージで一緒に並んで立っても私がそれほど大きくは見えないだろうと考えたのだ。マッカーサーは6フィート（180センチメートル）を超えている。私を大女に見せてしまうような伴奏者では困るのだ。
そのときから、マッカーサーと彼のチャーミングな奥さんは私にとってはなくてはならない友となった。
～同上書P168-169
二人の最初の出会いである。
フラグスタートの感性の素晴らしさを物語るエピソードだ。
フラグスタート ワルター指揮ニューヨーク・フィル ワーグナー 楽劇「神々の黄昏」から第3幕「ブリュンヒルデの自己犠牲」（1952.3.23Live） ワーグナー・オペラの体現者たるフラグスタートにとってリートも重要なレパートリーだった。言葉にならない重厚さは彼女の特権であり、リートにおいても相変わらずの光輝、そして香気を放つ。
全盛期を超えた、老練の声は、それでもフラグスタートその人の声で間違いなく、神々しい。
子どもの頃から楽譜に首っ丈で勉強したというシューベルトの歌曲はやっぱり素晴らしい。
「魔王」など、いかにもフラグスタートのためにあるような作品で、彼女の歌唱も本当に見事。
そして、慈悲深き「アヴェ・マリア」！！
さらには、ブラームス最後の歌曲となった聖書をテクストとした（バスのための）「4つの厳粛な歌」の敬虔で重厚な、フラグスタートならではの歌唱に感動する。
特に第1曲「人の子らの運命と動物の運命は同じであり」（「伝道の書」第3章第19節より）は、真理を示す（すべては塵より出でて、塵に還る）傑作であり、ブラームスの晦渋な音楽がまた傑出していて素晴らしい。
