フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調作品67ほか(1954.5.23Live)

ぼくは今ひとりぼっちで、だれにも束縛されない。一人で食事をし、晩には本を読むか、さもなければぼつぼつ仕事にもかかっている。ひとりでいられるもうしばらくの時間をほんとうに楽しみにしている。問題の睡眠も、これまではいつもうまくいった。どうやら、まわりにたくさんある森とも関係があるらしい?!・・・
(1954年1月18日消印、妻エリーザベト・フルトヴェングラー宛)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P288

よもやこの年のうちに亡くなってしまうとは本人も思わなかったことだろう。
しかし、1952年の大病以降、繰り返しの入院と抗生物質の投与は巨匠の身体だけでなく心すらも蝕んでいった可能性がある。「病は気から」というが、少々早過ぎた死は、彼の精神面の弱きも随分影響したのだろうと想像する。

アウスゼー温泉からのお便り、しみじみと、かつは嬉しく拝見しました。すぐ返事しなかったのは、体の調子が悪かったからなのです。クリスマスの頃から流感にとりつかれ、抗生物質を使った結果が思わしくないために、このサナトリウムに入院する羽目になりました。これでいよいよ再び元気になれると思うのですが。もっとも初めのうちは、けっこう辛い日が続きました。ようやく安心できるようになった今日この頃です。自作の交響曲を演奏するはずだった2回の演奏旅行を含めて、全部のコンサートを3月中旬までは取り消しにしなくてはなりませんでした。心の弱った折々には、そのためになにほどか良心の痛みを感じます。でも総じて、これから1か月半なり2か月なりの期間を珍しく自分自身のために使える可能性をもったのですから、この際、ほとんど出来あがったに等しい私の第3交響曲の完成を急ぐつもりです。
(1954年1月19日付、フランク・ティース宛)
~同上書P288-289

先の妻あての手紙と併せて読むと、フルトヴェングラーが自らの病に落胆していると同時に、そのことすら前向きにとらえようと努力している様子がうかがえ、興味深い。
「好生の徳」という言葉があるが、出会う人・こと・モノすべてに意味があることを巨匠はわかっていた。そういう思考は、おそらくベートーヴェンの生き様から、またはその芸術から学んだのだろうと僕は思う。

フルトヴェングラーが手兵ベルリン・フィルと演奏した最後の第5交響曲は、いかにもフルトヴェングラーらしい劇的な造形に、内なる枯淡の精神を注ぎ込んだ超絶名演奏だ。これほどまでに完全燃焼した演奏がほかにあったのかと思われるくらい巨匠の集中力とベートーヴェンへの熱愛の力強さに満ちるのである。まったく一分の隙もない。

ベートーヴェン:
・交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
・交響曲第5番ハ短調作品67
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1954.5.23Live)

ベルリンはティタニア・パラストでのベルリン・フィル定期からの実況録音。
第5交響曲終楽章の歓喜の爆発は金管群の咆哮、そして打楽器の轟音、あるいは弦楽器群の切れ味鋭い音すべてに多大な影響を与えている。当日、会場でこの溌剌とした音楽を目の当たりにした人はさぞかし興奮を覚えたことだろう。

フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン 交響曲第5番(1954.5.23Live)ほか

そして、双子のシンフォニーたる「田園」交響曲は、いつものフルトヴェングラー調で始まり、標題交響曲というより絶対交響曲の様相を示し、巨大な音楽が僕たちの魂を襲う。個人的には1週間前のルツェルンでの演奏に軍配を上げたいところだが、やはり終楽章の「牧歌、嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」コーダの祈りの深さは他の指揮者には見られないもの。
フルトヴェングラーの「田園」交響曲は別格だ。

フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」ほか(1954.5.15Live) フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン 交響曲第5番ほか(1954.5.23Live) 牧歌、嵐のあとの喜びと感謝 牧歌、嵐のあとの喜びと感謝

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