マウチェリー指揮ベルリン・ドイツ響のコルンゴルト「ヘリアーネの奇蹟」(1992.2録音)を聴いて思ふ

korngold_wunder_der_heliane_mauceri553100年近く前にこんな素敵な作品が想像されていたとは!
そしてまた、ナチス・ドイツによって「退廃音楽」の烙印を捺され、しばらくの間上演禁止の憂き目に遭っていたという事実。それこそユダヤ人であったがゆえの辛酸・・・。
実に壮麗。前衛的手法を駆使していながら、その音楽はとても聴きやすい。

愛というものがすべてを押しやり、最後は勝つという定型の物語。
アドルフ・ヒトラーにも良心、すなわち愛はあったろうに・・・。
しかし、いつしか権力という魔物に憑りつかれた彼は、自身の思想を具現化すべく道を誤った。「わが闘争」には次のようにある。

世界の敵に対するわれらの闘争 この運動は民族の目を他国民に向けて開いてやらなければならぬし、われわれの今日の世界におけるほんとうの敵を再三再四思い出させなければならない。(ほとんどあらゆる面でそれらからわが民族を分離することができるとしても。)共通の血あるいは同質の文化といった太い線でなおわれわれと結ばれているアーリア諸民族に対する憎悪の代わりに、すべての苦悩の真の元凶である人類の悪質な敵を一般の憤激の前にさらさねばならない。
アドルフ・ヒトラー/平野一郎・将積茂訳「わが闘争(下)」(角川文庫)P338-339

恐ろしや。
ヒトラーにとってはその筋書きまでもが容認できないものであったのかどうなのか。
いずれにせよ、当時のドイツにおいて芸術までもが仇敵にされたという悲劇。

上演3時間ほど、全編極めて耽美。
神童と称されたエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト。1923年から27年にかけて作曲された歌劇「ヘリアーネの奇蹟」は、この人の才能を120%表出した見事な作品だ。ワーグナーよりもっと健康的な官能を持ち、リヒャルト・シュトラウスより一層メロディアスで流れる旋律の宝庫。果たして「歌謡的」という言葉を使うのが相応しいのかどうかはわからないが、つい時間を忘れてはまってしまうほど。
何とライヴァルは、クシェネクの「ジョニーは演奏する」。当時、人気という点では結果的にはかの作品の後塵を拝したらしい。

少年時代のコルンゴルトを知るブルーノ・ワルターのエピソードが興味深い。

彼(ワルター)はエーリヒの作品を、キャリアの初めから終わりまで擁護した。それでも、スコアを初めて見た時は、ただの少年が示す驚異的な器用さと独創性に驚嘆したに違いない。音楽史を振り返っても、彼に匹敵する神童はモーツァルトとメンデルスゾーンの二人しかいない。ウィーンの評論家ユリアン・シュテルンベルクによれば、1908年ごろにワルターがこの少年の才能を知ることになる変わった状況の話がある。ワルターはテオバルトガッセの家に引っ越してまもなく、ここがユリウス・コルンゴルトの部屋の階下であることに気がついた。おそらく階段で出会って気まずいこともあったことだろう。コルンゴルトの息子は1897年生まれだったが、既に頭に浮かぶ楽想をピアノの上で存分に発揮しており、その即興はワルターの気が散る原因となった。その子は「天才」だったので、彼は「思わず」聴かずにはいられなかったのだった。
エリック・ライディング/レベッカ・ペチェフスキー/高橋宣也訳「ブルーノ・ワルター―音楽に楽園を見た人」(音楽之友社)P138

エーリヒ・コルンゴルトの天才に浸る。
繰り返し耳にするたびに、忘れられない旋律が脳内を駆け巡る。
冒頭、第1幕前奏から虜。輝かんばかりの聖なる歌。
また、短い第2幕前奏曲の鮮烈で煽動的な音楽。
そして、8分超の第3幕間奏曲のシュトラウス的妖艶な響きに心動く(シュトラウス以上の甘美さ!)。

・コルンゴルト:歌劇「ヘリアーネの奇蹟」作品20
アンナ・トモワ=シントウ(ヘリアーネ、ソプラノ)
ハルトムート・ヴェルカー(暴君、バリトン)
ジョン・デイヴィッド・デ・ハーン(異国の男、テノール)
ラインハルト・ルンケル(王の女使者、メゾ・ソプラノ)
ルネ・パーペ(牢番、バス)
ニコライ・ゲッダ(盲目の断罪官、テノール)
マルティン・ペッツォルト(若い男、テノール)、他
ベルリン放送合唱団
ジョン・マウチェリー指揮ベルリン・ドイツ交響楽団(1992.2録音)

暴君を追放し、新たな光明と幸せの朝を迎えた国を人々が賞讃するや、オペラはヘリアーネと異国の男の二人だけの終幕第4場に移る。ここでの二重唱の静寂美。
固い抱擁と昇天。やはり、死こそがすべてがひとつとなる象徴なのだ。
一度舞台に触れてみたい。

マウチェリーの、「ウテ・レンパーsingsクルト・ワイル」の伴奏同様、表現の巧みさが光る。何より作品に対する愛情が半端でない。

 

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2 COMMENTS

“スケルツォ倶楽部”発起人

たいへんご無沙汰しております、コルンゴルトに肩入れする “スケルツォ倶楽部” 発起人 です。 個人的に大好きだった「ヘリアーネの奇蹟 」の アレグロ・コン・ブリオ登板に 興奮(拍手 )、思わず 余計なコメントを 書かずにはいられませんでした。
私 “スケルツォ倶楽部”発起人が 天才コルンゴルトの存在を 知ったのは、1990年代に デッカ=ロンドンの「退廃芸術シリーズ 」なるツィクルスの一環として ナチス第三帝国の政治的な芸術破壊工作によって 「禁じられた音楽」作品が 一連のシリーズとしてCDリリースされた時、まさに この全曲盤 (歌詞対訳付きで国内盤 )を初めて手にしたのでした。
自ら最高傑作と自負した 歌劇「ヘリアーネの奇蹟 」が初演された1927年当時、そろそろ30歳を迎えた天才作曲家コルンゴルト - ウィーン市からは芸術勲章が授けられ、ウィーン音楽大学からも 名誉教授の称号を贈られ - その名声はまさに頂点に達していましたね。
歌劇中でも 私の 「脳内を駆け巡る 忘れられない旋律 」は、第2幕審判の場で 若き王妃ヘリアーネが夫たる暴君に釈明する長大なモノローグです。専制君主による圧政下、人々に解放をもたらそうと 喜びなき国にやって来たものの 暴君の命によって囚われの身となった (「サロメ 」の ヨカナーンを 連想させる )異国の男が 幽閉されている牢獄を訪れたヘリアーネは、憐れみの感情から その長い金髪を解き 衣服を自ら脱いで、初対面の男に その美しい裸身をさらすのでした。怒り狂った王に裁判の場で釈明を求められた王妃が心情を物語る神秘的な場面は、爛熟し切ったロマン派という果実が まさに その枝から落ちようとする瞬間の 形をとどめた最後の姿を見るような、美しい音楽です。それは、もはや繰り返し聴くことが耐えがたいとさえ感じる、期せず「退廃芸術 」なる反語的表現が 実は本質の一端をついていたかも(? )です。 で、今夜は久しぶりに徹夜して マウチェリーの 「ヘリアーネ 」全曲聴いちゃうかも(? )。

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岡本 浩和

>“スケルツォ倶楽部” 発起人様

ご無沙汰しております。
コメントをありがとうございます。

お恥ずかしながら、コルンゴルトに関してはほぼ知識がなく、数週間前偶々新宿タワーのセールで見つけて手にとった「ヘリアーネ」をここ数日繰り返し聴いておりました。
吃驚するくらい素晴らしいですね。
ご指摘の第2幕のモノローグについても同感です。
しかしながら、オペラの筋は英文のシノプシスで確認できるものの、台詞の詳細がよくわからず隔靴掻痒の思いです。

これからはコルンゴルトの他の作品についてももっと勉強いたします。
ぜひまたいろいろと教えてください。
“スケルツォ倶楽部” 発起人様のブログ記事も参考にさせていただきます。
今後ともよろしくお願いします。

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