小澤&パリ管の「火の鳥」

診断結果はインフルエンザ。仕事をキャンセルして、薬を飲みひたすら寝る。
だいぶ楽になった(とはいえ最低でも5日間は外出禁止とのこと。厳しい・・・)。
ほんの少しばかり音楽が聴きたくなった。

ストラヴィンスキーの「火の鳥」の真骨頂は当然1910年の最初の版にあると思うのだけれど、音楽だけで真髄を享受するのは難しい。先年、どうしても観たいと思っていたニジンスキー版の「春の祭典」がゲルギエフ&マリインスキー劇場によって蘇演された舞台の映像がリリースされていることを知り、観たのだが、どちらかというとカップリングの「火の鳥」の方に一層感銘を受けた。なるほど、ミハイル・フォーキンの演出というのはこういうものだったんだということが大変よく理解できたことが何より大きい。例えば「春の祭典」などはモーリス・ベジャールの振付などすごく抽象的でありながら具体的で、観ていてすごく感動的なのだけれど、ベジャール版「火の鳥」というのは僕の中ではいまひとつ。明らかにこの「原典」の威力に比べると弱い。物語を具象化した音楽の意味がこの振付によってこそ腑に落ちる。

先日、小澤征爾がパリ管弦楽団と録音したチャイコフスキー(パリ管との初録音である)を聴いて驚いたということを書いた。小澤というのは大変な才能の持ち主なのではないのか、特に1970年代初頭の、あの頃のこの人は実に飛ぶ鳥を落とす勢いの、感動的な演奏を繰り広げていたことを、もう1枚別の演奏を聴いて確信した(同じくある友人が贈ってくれた1枚)。
それは、1972年に同じパリ管弦楽団と録音した「火の鳥」全曲。特に、カスチェイの登場以降のおどろおどろしい響きは絶品。

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」全曲(1910年版)
小澤征爾指揮パリ管弦楽団(1972.4.22,24,28&29録音)

ロシアの土俗的旋律とフランス、パリの洗練された響きとの邂逅。
それをしかも東洋人である小澤征爾が見事にコントロールしている点が興味深い(小澤征爾の場合、やっぱりロシア音楽との相性が抜群なんだと思う)。

それにしても木管楽器、金管楽器、いずれも抜群の上手さ。
何日もかけて行われたセッション録音の妙味とも言おうか、今の時代では様々な事情からありえない丁寧な音楽作りがなされていることが手に取るようにわかる(オーケストラ編成もオリジナルの4管編成)。


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