就職氷河期

bach_johannes_passion_gardiner.jpg就職氷河期が続くようだ。転職希望者は多い。中には職を失い、必死で活動をする人もいる。もちろん就職先がまったくないわけではない。求人が皆無というわけではないのである。昔からいわれるように「選ばなければ」仕事はある。しかしながら、候補者と企業側のニーズがいまひとつ合わないというケースが続出する。マッチングが思ったように上手く進まないのである。どこの業界でもそうなのだろうが、今はじっと我慢し、「その時」を待つしかないのだろう。

若者からの相談が多い。会社都合というケース(倒産など)は致し方ないにしても、自己都合での退職というのは少し辛抱した方がいいのかもしれない。上司と馬が合わないなど大抵が「人間関係」のもつれである。環境を変えることも大切だが、自分が変わらないことには究極的な変化はない。いや、厳密には自分が変わらなくてもよい。少なくとも人間を理解し、受容、すなわちコミュニケーションの術を徹底的に学ぶことが重要なのである。

ただし、こういう不況時に就職戦線の真っ只中に居合わせる学生諸君は長い目で見れば結果的に幸せだと思う。それこそバブル期に黙っていても内定をいくつももらえた我々の世代から比べると明らかにストレス耐性に優れており、実力もある。やっぱり人間というもの相応の壁や挫折を乗り越えたという経験をもっているのともっていないのとでは底力が違う。がんばってほしい。

昨日から一気に寒くなった。気温は10度を切っている。こういう日は熱いお風呂にゆっくり浸かり、身体を温めるに限る。特に、フランシラ社の「ピート」を使うと寒くなった心までも癒してくれる。荘厳な合唱音楽を・・・。

J.S.バッハ:ヨハネ受難曲BWV245
アントニー・ロルフ・ジョンソン(テノール)
スティーヴン・ヴァーコー(バス)
コルネリウス・ハウプトマン(バス)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ

名盤の誉れ名高いリヒター盤を愛聴するが、厳格過ぎて滅入るので(襟を正すような緊張感を強いられる)より清澄で柔らかいガーディナー盤を。物理的に快速テンポというわけではないのに、あっという間に過ぎ去る演奏。それだけ聴きやすいということなのかもしれない。

毎々書くようにキリスト教についての知識が薄いため、この音楽のテキストが「ヨハネの福音書」からイエス・キリストの受難を題材にしていること以外多くを知らない。作品を理解するのに本当ならより深く研究したほうがベターだと思うが、20年前初めて聴いたときから、ただただその「音楽」に没頭してきた。冒頭の合唱はいつ何時どんな演奏で聴いても感動させられる。

主、われらを統べ治め、その誉れ
全地にあまねくして尊き君よ!
汝の受難によりてわれらに示したまえ、
まことの神の子にいます汝こそ
あらゆる時を通じ、
またこよなき低さの極みに到りし時も、
尊き栄光を受けたまえる君なることを。

(訳:杉山好)

「どんなに苦しい時も、愚痴らず投げ出さず、自らを信じ、そして人様には感謝をもって」


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
現在の不況は、まさに国難です。エレクトロニクス、自動車などの基幹産業他、多くの分野で日本の国際競争力が低下、衰退の一途を辿っているのが最大の問題です。政治、経済、文化、道徳のいずれもが三流の、何の取り柄のない誇りの持てない国になりかねません、冗談ではありません。
私は二児の父親でもありますが、子供達が将来社会人になった時、就職ができなくて、いつまでも家にずっといることを想像するとゾッとします。就職氷河期は、就職希望者本人の問題にとどまらず、家族、社会全体を巻き込む大問題です。
まず、日本人ひとりひとりが、岡本さんがおっしゃるような「人様への感謝の気持ち」を持つとともに、メシのタネに直結してもしなくても、「科学への興味の気持ち」を持つことが車の両輪で、資源の少ない技術立国日本の国力回復には不可欠だと思っています。でないと、世界から見向きもされなくなるのは必定です。
「ヨハネ受難曲」のガーディナー盤、ピリオド奏法の歴史的信憑性は、例によってまったく信用していませんが、この曲の持つ「マタイ受難曲」に比べてドラマ性が少なく客観的で叙事的姿勢に、合唱の上手さと演奏のあっさり感が加わり、クリスチャンでない私のような人間でも、疲れないので確かに聴きやすいです。でもね、それはやっぱり邪道かなあ、とも思います(笑)。
なお、この曲にはブルックナーの交響曲のように、第1稿~第4稿およびオリジナル・スコアがありますよね。研究のやり甲斐があるのでしょうが、今の私には、そんな時間も熱意もありません(笑)。
大昔、中学~高校時代、ラジオの深夜番組を遅くまで聴いていたら、「心のともしび」というカトリック系布教番組(今も全国ネットで続いているらしい)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%B3
まで聴いてしまうことが多かったことを、ふと思い出しました。
この番組のテーマ音楽は、ワルター指揮コロンビア響の名盤「田園」第1楽章なのですが、毎回の番組冒頭の言葉、
「心に愛がなければ どんなに美しい言葉も 相手の胸に響かない – 聖パウロの言葉より – 」
が忘れられません。キリスト教関連で、未だに私が最も好きな言葉です。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>就職氷河期は、就職希望者本人の問題にとどまらず、家族、社会全体を巻き込む大問題です。
同感です。
>メシのタネに直結してもしなくても、「科学への興味の気持ち」を持つこと
確かにこういうことは大切ですよね。
曲を理解する上で何度も耳に触れることって大事ですから、ガーディナー盤の「あっさり感」はいいと思うんですよね。ただし、おっしゃるとおり邪道かもしれません。
>研究のやり甲斐があるのでしょうが、今の私には、そんな時間も熱意もありません
同じく、です。
「心のともしび」というラジオ番組は残念ながら聴いたことがなかったですが、ワルター&コロンビア響の「田園」を使っているとはなかなかいかしますね。
「心に愛がなければ どんなに美しい言葉も 相手の胸に響かない」という言葉も身に染みます。

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