Art Pepper meets The Rhythm Section

アート・ペッパーを聴いた。
巧い。フレーズの創り方がとにかく明快。モダン・ジャズの中のモダン・ジャズとでもいおうか。当時のマイルス・クインテットのリズム・セクションとの出逢いが彼の創造性とパッションをどれだけ触発したのだろうか、とても清々しい。

しばらくシューマン漬けだったので少々気分転換。
ロベルト・シューマンの音楽というのはその病的体質から来るものなのかどうなのかはわからないけれど、聴く者に相当の気力と体力を要求する。それは精神疾患が重くなった晩年の作品に限らず初期のものからとにかくそういう様相を呈するのだから(少なくとも僕の感覚では)、彼の病が突如として現れたものではなく幼少時の成育歴、あるいは環境から受けた影響が遠因のひとつであろうと推測する。
僕の中では、彼の疾患はそういう幼少体験に上乗せして「目に見えない世界」のものたちからの影響があるのではないかという仮説が成り立つのだけれど(それはこれまで20数年のワークショップを通じて出逢った人々に観た経験から推論するもの)。

シューマン自身がフロレスタンとオイゼビウスと呼んだように彼の内には2つの人格があった。いわばテンションの高い状態とその逆の「放棄・絶望」状態。彼の人生はおそらくその繰り返しで、そのことは作品の内にも当然顕れる。

幸運なことに僕たちはシューマンやクララが残した膨大な日記や手紙類を参考に、彼らの生き様をある程度知ることが可能だ。しかしながら、晩年のものについてはクララによって悉く破棄されているという事実が大きい。そこには公表できない事情があったわけで、世間一般が忌避するような事柄もあったのかもしれないし(ヨーロッパ社会で重視される信仰の問題も含め)。

少しクールダウンしよう。
ということで、アート・ペッパー。ジャズ、特にペッパーの1950年代のそれは(すべてじゃないにせよ)とても中庸な音楽だと僕には思われる。麻薬中毒の治療のため幾度も療養所生活を強いられた彼は「破滅型の天才」として認識されるが、少なくともこのアルバムは、陰陽のバランスと緊張と弛緩のバランス、それらが見事に「ゼロ」状態。すなわち完璧に脱力されながら、かつ中心線がまったくぶれない。そんな状況が演奏者によって創り出されている。

Art Pepper meets The Rhythm Section(1957.1.19録音)

Personnel
Art Pepper (as)
Red Garland (p)
Paul Chambers (b)
Philly Joe Jones (ds)

この録音にまつわるエピソードを聞くと吃驚すると同時に、納得もする。
アートは当日の朝まですっかりレコーディングを忘れ、電話がかかってきて思い出し、慌ててスタジオへ。何の練習もないまま(しかも何ヶ月にもわたってまったくサックスを吹いていなかったらしい)スタンダードを中心に録音したというのだ。もちろんそれには彼の底力を引き出させたリズム隊の力量も大きいのだろうけれど。まさに天才たちの邂逅の為せる業。

本人お気に入りの自作”Straight Life”の勢いとテンション!まさに「素直」で「正直」であることに誇りを持っていたであろうペッパーの生き様が投影されるよう。


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む