ベートーヴェンはいつからベートーヴェンになったのだろう?
人は意識の中で過去を分断し、各々を記憶に留める。例えば都合の悪いことはその部分だけを切り取って棚に上げる。でも、過去と現在と未来が同時に起こっていて、いわゆるパラレル・ワールドであるならば、厳密にその部分だけを削除することは不可能。時間も空間もすべてがつながっていて、何ひとつとして無駄がないということならば潔くすべてを受け容れようではないか。
ベートーヴェンがフリードリヒ・フォン・シラーの頌詩「歓喜に寄す」に出逢ったのが1792年か93年初頭であったと現在では推測されている。ベートーヴェン22歳。彼は当時ボン大学で哲学や文学、あるいは芸術史を学ぶ傍ら、ボン読書協会に関わっていたのだが、ここでこの頌詩を初めて知ったのである。シラーと親交のあった法律家フィッシェニヒが93年1月にシラー夫人に宛てた手紙には次のようにある。
この少年は選帝侯によってウィーンのハイドン氏のもとに派遣されたところです。彼は夫君シラーの頌詩「歓喜に寄す」を全節にわたって作曲しようとしています。
(作曲家◎人と作品ベートーヴェン)
楽聖が実際にこの詩に音楽を付すのはさらに30年近い時を要するのだが、その間彼の頭の中でずっと温められていたという事実がもはや感動的である。
もちろん当時のヨーロッパの革命気運、「自由・平等・博愛」というスローガンが契機となり、ベートーヴェンにも多大な影響を与えていたことは間違いないが、それにしてもあの「人類はひとつだ」と悟ったかのようなシラーの詩に即座に音楽をつけようと考えたことが20歳過ぎの男とは思えない先見性、進取の精神が感じられる。
晩年にはインド哲学思想に嵌り、「バガヴァッド・ギーター」を愛読したというのだから、彼の精神はその言葉通りすでに「天の広大な計画に従って全世界の接吻を受けていた」のだろう。
買ったきりほとんど真面に耳にしないまましまってあった音盤。
ベートーヴェンの講義をどんなものにしようか思案しながら存在を思い出したのでかけてみた。
吃驚。久しぶりに美しい音楽を聴いた。とても新鮮な気持ちで、まるで初めて接する音楽であるかのように心に響いた。どういうことか。ピリオド風の奏法なのに、急加速があったり、急ブレーキがあったり・・・。
極めて澄んだ見かけなのに、中身はとてもこってりという感じ。でも、やっぱり要は「自然体」なんだ。老巨匠には力みがない。2006年ウィーン芸術週間でのジョルジュ・プレートルの第9を聴いてぶっ飛んだ。巧い指揮者は誰しもティンパニの使い方が別格。
第3楽章アダージョ・エ・モルト・カンタービレのそこはかとない美しさは他を圧倒する。
そして、ベートーヴェンの結論である第4楽章に至っては「音楽」があるのみ。
ベートーヴェンは生まれた時からベートーヴェンだったんだ。
そういう役割だったということ。