成人の日

今日は「成人の日」。天皇崩御のあの年に生まれた赤ちゃんが成人するのだから、本当に歳月の経過はあっという間だ。当時、僕も社会人になって1年目の年でまだまだ初々しく、それにイベント制作業だったゆえ「歌舞音曲の自粛」ということで、崩御直後のコンサートやイベントを中止するか否か、またはどのように対処するかをクライアントと何度も協議したことを思い出す。まだバブルが弾ける前で、企業のメセナ活動もまだまだ盛んで、このまま永遠に右肩上がりの成長を続けるのではないかとみんなが信じていた時代だった。懐かしい。

今日はとにかく寒い。この冬一番の冷え込みらしい。昨日からどうも胃に違和感があり、両肩に何かずっしりと重いものが乗っかる感覚があったので、「もしやインフルエンザか?!」と思い、大事をとり今日は横になったり、ぼーっと本を読んだりして安静に過ごした。

サマセット・モームの「かみそりの刃」という小説。いわゆる「世俗的なもの」に一切興味を持たず、欲の無い生活をよしとするラリー。方や資産家の息子で生真面目なグレイ。ラリーを心底愛するイザベルだが、意見の不一致によりラリーほど愛していないグレイとついには結婚する。イザベルはとにかく結婚がしたかったのだ。ラリーにとっては恋愛や生活以上にスピリチュアリティが重要だったのだ。

バード:5声・4声・3声のミサ曲
ピーター・フィリップス指揮タリス・スコラーズ

イギリス・ルネサンス期の最大の作曲家であるカトリック教徒のウィリアム・バード。50年以上にわたり宮廷聖歌隊の楽員職にあったので、当時としては栄光の人生であったろうと想像できるのだが、決して平穏な生涯ではなかったらしい。
当時のイギリスは英国国教会を成立させたばかりの頃で、カトリック信仰は御法度。活動家たちは次々に処刑されていた時代であった。
彼は、その優れた楽才ゆえエリザベス1世から寵愛を受け、国教会のための英語の宗教曲や世俗歌曲をせっせと書き溜め、その一方で密かにカトリック神父たちとも通ずるという二重生活を送っていた。

そういった逆境の中、「5声・4声・3声のミサ曲」はカトリック教徒の秘密ミサのために書かれた迫真の緊張感に満ちた音楽。とにかく信じられないほど美しい。

生活と信仰との板ばさみ。意思を自由に表現し、行動できなかった時代。神を求めながらも肉体を永らえねばならぬという矛盾。「縛り」があり「自由の無い」時代だからこそ、人は「勇気」を生み出すのだろうか。緊迫した環境の中から切迫した息詰まる「美」が生まれる。

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アレグロ・コン・ブリオ~第3章 » Blog Archive » 無理をせず

[…] セルヴァンテスが「ドン・キホーテ」第2部を執筆し、シェイクスピアが「テンペスト」の構想を練っていた1610年。ビクトリアが世を去る1年前、そしてバードやダウランド、ギボンズらイギリスの作曲家たちが隆盛を誇っていたという時代。日本では、徳川幕府がキリスト教信仰を禁止する2年前であり、豊臣家滅亡(大阪夏の陣)の5年前。見ることも、感じることも不可能な過去を追体験する。音楽とはタイムマシンのようなものなり。 […]

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