24の前奏曲

chopin_bunin_prelude.jpg夏日で風もほとんどなく久しぶりに暑い一日があっという間に過ぎ去る。黙ってじっと座っているだけでじわっと汗ばんでくるような何ともいえない暑さ。こういう日は聴くだけで涼しくなるような音楽をBGMにぼーっと過ごすのがベストなのだが、なかなかそうもいかない。
昨日のオフ会で阿部寛主演の「バブルへGO!」が面白いと話題になったので、早速TSUTAYAに走り、観た。確かに面白い。けど、やっぱりフィクション臭バリバリのところが正直もうひとつだったかな(余興としては十分ですが)。阿部寛でいうなら、それよりドラマでやった「結婚できない男」の方が圧倒的に味のある演技で面白かったし、ストーリーとしても日常的で良かった。
映画でも小説でもなんでもあまりに非現実的になると興醒め。そういうものとして観てしまうから共感が少なくなる。芸術(まぁこの映画は芸術とはいえないからこれはこれでいいのですが)は作り物であってはならない。あくまで「体験したこと」、そして「心」の反映でなくては・・・。

涼しい音楽でも・・・、と取り出したのが、ブーニンのショパン。普段滅多にブーニンは聴かない。それにバッハはともかくブーニンのショパン自体、実はあまり評価していない。
しかし、この「24の前奏曲」ばかりは絶品である。
マリア・ウォジンスカへの求婚、そして失恋。ジョルジュ・サンドとの出逢い、そしてマジョルカ島への逃避行、とめくるめく恋愛遍歴の真っ只中で生み出されたこの曲集には、愛の幸福というより、孤独な寂しさを感じてしまうのはどうしてだろう・・・。

ショパン:24の前奏曲作品28
スタニスラフ・ブーニン(ピアノ)

※この天下の名盤がどうも廃盤のようだ。腑に落ちない・・・。

1985年、ショパン国際コンクールで優勝後、空前の「ブーニン・ブーム」が巻き起こった。当時大学生だった僕の周りでも、普段クラシック音楽など聴かない女の子たちが金切り声をあげて騒いでいた。そういう風景を横目に妙に醒めている僕自身がいた。しばらくブーニンは聴かなかった。ところが、その数年後リリースされた「バッハ・アルバム」を耳にして認識が変わった。大変な名演奏だった(その認識は今でも変わらない。ブーニンのバッハは絶品だ)。当然そのすぐあとに発売されたこのアルバムも発売されるなり購入した。一聴、惚れた。アルゲリッチの弾く有名な前奏曲集のアルバムよりひょっとするといいかもしれない、とまで思った(そしてその思いも今でも変わらない)。
ただ、残念ながらいつの頃からかブーニンは追っかけなくなった。リリースされたCDも買わなくなった。ゆえに最近のブーニンのことはよく知らない。もちろん実演もしばらく聴いていない。今の彼はどうなんだろう?

F.ショパンの「24のプレリュード」について語るとき、まず頭に思い浮かぶことといえば、多くの芸術家が『芸術の悲しみ、苦しみ』の代表としてこの作品をあげることです。芸術とはこの悲しみや苦しみなしには存在しないわけで、まさに必要不可欠なもの。そして、詩人であれ作家、画家、作曲家であれ、私たち芸術家はこの苦しみや悲しみをただ読み物を通して理解しているのではなく自分自身の経験を通して熟知しており、私のようなピアニストであれば、作品を読みとってその解釈を舞台の上でするということです。
~スタニスラフ・ブーニン

⇒旧ブログへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む