神と自己との対話

フォーレの「ラシーヌの雅歌」作品11を聴く。

ジョン・オールディス指揮グループ・ヴォカール・ド・フランス
フランソワ=アンリ・ウバール(オルガン)

つい先日東京国際フォーラムで開催された「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」で聴いたコルボのレクイエムが素晴らしい出来だったので、ふと思い出し久しぶりにCDトレイに乗っける。
「ラシーヌの雅歌」。これはフォーレがまだ18歳の頃、ニーデルメイエール音楽学校の卒業作品として創作したものである。とてもティーンエイジャーの作品とは思えない崇高さを持つ。おそらく根本的な信仰心の反映だろうが、彼の楽曲には共通して「心の静けさ」、「心の安らぎ」など宗教的に魂を揺さぶる「何か」が存在する。

いと高きところのお言葉、
われらの唯一の希望、
天と地とのとこしえなる日。
われらは静かな夜のしじまを破る。
・・・

そういえば、ベートーヴェン同様フォーレも壮年期以降難聴に悩み、晩年にはとうとう聴覚を失ったということをこの曲を聴きながら思い出した。時代も国も違う二人だが、「自己」という「内なる世界」に閉鎖された状態で「神」から降りてくる「音楽」を創造した「選ばれし輩」であるという点では近しい存在かもしれない。基本的にフランス音楽はあまり好きではないが、フォーレに関してはどの楽曲もピンとくる。

ひょっとすると人間の持っている五感というのは「他」と「自」を隔ててしまう「障害」なのかもしれない。極論だが、「目が見えなくなる」、「耳が聴こえなくなる」というのは「生活」をするうえで「絶対的なもの」であるが、芸術創造においては「邪魔」なものと考えられなくもない。なぜなら、「芸術創造」という行為は「神と自己の一体化」であるから。いかに自己の殻を破り、つながるか・・・

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2 COMMENTS

アレグロ・コン・ブリオ~第3章 » Blog Archive » 浄化の力?!~デュリュフレのレクイエム

[…] 20年ほど前だったか、フォーレの有名な「レクイエム」と双子のような鎮魂曲が存在することを知り、早速仕入れ聴いたとき、その美しさに打ちひしがれた。もっと以前からフォーレの作品が大好きで、これまで何度か実演にも触れているが(いつだったかサントリーホールで聴いたパイヤールのも良かったし、「ラ・フォル・ジュルネ」でコルボが演奏した時のも涙が出るほど素晴らしかった)、それらの体験と比較してみても、このデュリュフレの「レクイエム」は敬虔な祈りと永遠の平和を願う人々の心に満ち満ちており、繰り返し何度聴いても心が洗われる。 1947年の作曲というから、そこには当然第2次世界大戦の生々しい傷痕に対するメッセージが込められているのだろうが、震災復興のために一丸となっている今の日本人の心にも直接的に響く音楽なのでは。いわゆる宗教音楽だから、なかなか一般人が聴く機会には恵まれないもののように思うが、ともかくたくさんの方々にぜひ触れてみていただきたい、そんなことを感じさせてくれる名曲だと確信する。 […]

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