人間の性格というのは基本変わらないものだと僕は考える。
喜びも挫折も、感動も悲しみも、いろんな経験をして知識は増えるけれど、性格、あるいは性質そのものに変化はないと。例えば、それは音楽で言うところの「ヴァリエーション」のよう。与えられた主題こそがいわゆる「素」のもの。そしてそこに種々の装飾を得、時に明るく時に暗く、そんな風に様々な変奏を経て、壮大な大団円に至る様。バッハのある変奏曲のように30もの音楽があるかと思えば、モーツァルトのあるもののように12のものもある。ブラームスのもののように最後にフーガなどが加えられると、もうこれは複雑な糸が絡み合った人生模様が走馬灯のように過ぎ行くドラマのようで、それだけで感動の坩堝と化す。
ヨハネス・ブラームスは変奏曲の名手。
1861年9月に完成した作品。ヘンデルのハープシコード組曲第2巻第1番「エア」に基づく25の変奏曲とフーガ。久しぶりにヘンデルの組曲の主題をテーマにした作品24を聴いた。
「私はあなたの誕生日のために変奏曲を作曲しました。それはまだあなたが聴いたことのない作品です」
(1861年10月11日付クララ・シューマン宛の手紙より)
作曲者自身のこの言葉を確認するまでもなく、この音楽には至るところ、どの瞬間にも「喜び」に満たされた深い「愛情」が感じられる。若きペーター・レーゼルの録音で。
ヘンデル・ヴァリエーションを生み出した頃のブラームスの周辺は実はギクシャクしていた。特に両親の不和。高齢の母とすぐ感情的になる父との間での絶えることのない口論。ヨハネスは落ち着いて作曲すらままならなかったのだという。そんな中、友人の計らいで独り暮らしをはじめ、ようやく創作力に弾みがつき、出来上がったのがかの音楽なのである。なるほど、そう考えるとヘンデル・ヴァリエーションには悲喜交々様々な感情が渦巻く。最終的には「ひとつ」に収斂し、調和するのだけれど、彼の痛切な願いが見事に音化されるかのよう。
ところで、20代後半のペーター・レーゼル。淡々と音楽を、しかもいかにも若者らしくスピーディーに駆け抜けようとする様子が、当時のブラームスの家庭における苦悩とクララに対する思いが錯綜しながら反映しており興味深い。
ベートーヴェン然り、「ヘンデル全集」を座右の書として研究する天才の視野はとても広い。
とはいえ、宇宙人ベートーヴェンに対してブラームスはあくまで生身の「人間」。
ヘンデルを軸に音楽史を見てゆくと実に様々な発見があり、面白い。
1週間にわたり、ペーター・レーゼルとゲルハルト・オピッツのブラームスのCD聴き比べをしました。どちらも甲乙つけ難いものです。また、最近完結した中堅アンドレアス・ボイデのものとも聴き比べてみました。
ドイツのピアニストによるブラームス、ピアノ作品全集としてペーター・レーゼル、ゲルハルト・オピッツ、アンドレアス・ボイデのものはぜひ備えてみてはいかがでしょうか。
>畑山千恵子様
アンドレアス・ボイデのものは未聴です。
興味深いですね。
ありがとうございます。