Viva! 愛知とし子ピアノリサイタル・その2

bruckner_8_wand_munchen.jpg子どもは正直で皆かわいい。渋谷のTEPCOホールにて「愛知とし子ファミリーコンサート」。客席はほぼ8割埋まり、お陰さまで盛況のうちに終了。100名規模のホールでの未就学児童OKのリサイタルは初めての試みだったが、多くの気づきがあった。
ピアニスト本人に言わせるとピアノの調整は完璧で、さすがに1週間に4回もの公演をもたせていただくとテクニック的にも随分安定するようで演奏そのものはほぼ完璧な出来とのこと。あとは演奏以外の仕切りやトークについて今後研究の余地ありだろうか・・・。
何ぶんまだ子持ちじゃないゆえ、子どもの扱いがいまひとつ。こればっかりは人様から教えてもらうことではなく自ら経験せねばならないことだ(苦笑)。

それにしても「親の姿勢」は「子どもの姿勢」なり。良くも悪くも親の「心の状態」が子どもの「心の状態」に反映される。子どものためのコンサートとはいえ、何だかお父さんお母さんのためのコンサートであったともいえる。うん、すべてが勉強です。

1週間の疲れを癒すため、帰宅後近所のインド・カレー店で妻とサシでの打ち上げ。たいして量は飲んでいないもののいい気持ちで酔っ払わせていただいた。感謝です。

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調
シューベルト:交響曲第8番ロ短調D.759「未完成」
ギュンター・ヴァント指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(2000.9.13-16Live)

昨日も書いたヴァントの最後の来日から遡ること2ヶ月前のミュンヘン、ガスタイク・ホールでの怒涛の実況録音。ブルックナーの最高傑作である「第8番」の隠れた(?)名盤であろう。僕は「第8」のフィナーレを聴くと涙が出るほど感動する(特に第3主題のフーガ的展開から第1主題の回想、そして圧倒的コーダ!)。とにかく地に足のついた安定感と自信に溢れたこのパフォーマンスは空前絶後。クナッパーツブッシュであろうと、シューリヒトであろうとヴァントの第8フィナーレには平伏すんじゃないかな(笑)。それにしても、ヴァントの名声は没後地に堕ちたように思う。ほとんど顧みられないような状態か・・・。

ところで、朝比奈先生の東京での最後の「第8」も素晴らしかった。いろいろと思い出される・・・。

ちなみに、本日のプログラムは下記の通り。
・メンデルスゾーン:春の歌~無言歌集
・ショパン:ワルツ第1番変ホ長調作品18「華麗なる大円舞曲」
・シューマン:子どもの情景作品15(創作音楽物語-やさかのっきい朗読)
・パッヘルベル:カノンニ長調
・モーツァルト:きらきら星変奏曲ハ長調K.265(300e)
・ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー
アンコールなし


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。
いろいろお疲れさまです。本日の「愛知とし子ファミリーコンサート」の大成功も、おめでとうございます。
>クナッパーツブッシュであろうと、シューリヒトであろうとヴァントの第8フィナーレには平伏すんじゃないかな
そうかも知れません。私もヴァントのミュンヘン・フィルとのブルックナーの「第8」は、NDRとの演奏とはまた違う素晴らしさがあると思いますね。晩年のヴァントにとって、NDRが正妻でミュンヘン・フィルは恋人だったのですかね? チェリビダッケに鍛えられたオケとヴァントとの、幸せな関係でしたね。
>それにしても、ヴァントの名声は没後地に堕ちたように思う。ほとんど顧みられないような状態か・・・。
私もヴァントの名盤が、信じられないような安価で売られているのを見ると、とても悲しくなります。
ところで、ヴァントはブルックナーの交響曲について、大抵の人が最高傑作だという「第8」を周囲との妥協の産物とみなし、「第5」や「第9」を「第8」より芸術的に高く評価していると公言していましたよね。私もヴァントの意見は全面的に賛成ではないにせよ、今では理解はしています。
この曲は作曲当時、指揮者などの周囲の助言、アドバイスに基づいた改訂がなかったら、その後のハース版などの芸術的完成度の高い版への昇華はあり得なかったわけですから・・・。それに作曲者自身も、「第7」で誰もが問題にするシンバルやトライアングルを、「第8」の第3楽章の頂点では当初から採用し、削除せず最後まで堂々と残していますし、全体にワーグナーの「指輪」の影響を色濃く感じさせますし、案外俗受けを意識して作曲した割合が多い曲なのではないでしょうか?
「フィナーレは指示してあるように断固カットしてください。そうしないと冗長に過ぎます。この曲は後の世にこそ相応しいもので、今、その良さを理解してくれるのは友人とか専門家だけです。それからテンポは明晰さのために必要とあらば自由に変えてください」という、第2稿の初演を指揮する予定だったワインガルトナーにあてたブルックナーの手紙がありますが、それも当時の状況を考えると、商業的成功のためには極めて当然の対応だったのでは?

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>晩年のヴァントにとって、NDRが正妻でミュンヘン・フィルは恋人だったのですかね?
まさにそんな感じですね。
>案外俗受けを意識して作曲した割合が多い曲なのではないでしょうか?
そうですね。ブルックナーという人は意外に俗物で、死ぬまで結婚や名声にこだわってましたからねぇ。それくらいに「他人の評価」は彼にとって重要だったので、8番などはおっしゃるとおりなのかもしれません。でも、芸術でも何でも「相手」あってのものだと僕は思うのでそれはそれでいいかと・・・。第8はブルックナーの「聖なる部分」と「俗なる部分」がうまく混成された傑作なのではないかと思うのです。
ブルックナーのワインガルトナー宛の手紙を読むと、ブルックナーは自分のことがよくわかってますね。とても冷静ですし、客観的に「わかっている」と思います。

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