この重厚な語り口と内省的な響きはヨハネス・ブラームスそのものだ。
しかしながら、繰り返し聴くごとに、かの巨匠とは異なる独特の個性に僕は気づく。
強いて言うなら、ブラームスほどのいじけた屈折、鬱積がない。その分、実に健康的。
それゆえに、「芸術作品」としては二流(?)の烙印を捺されるのかも?(僕はヘルツォーゲンベルクの作品を決して二流とは思わない)
不健康であることが一流の条件とはいわないが、何にせよとことん突き抜けねば一流にはなれぬ。
ブラームスのエピゴーネンと揶揄されようとも、その浪漫溢れる音楽の素晴らしさ。
人は誰しも誰かを尊敬し、誰かの影響を受けるもの。そう、すべては模倣から始まるのである。そして、そこから自らの個性を獲得するのである。
僕はハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルクについては詳しく知らない。
しかし、偶々見つけた「ヘルツォーゲンベルク書簡集」なるサイト記事を読んでみて、彼とブラームスとの間の深い絆と、何よりヘルツォーゲンベルクが10歳年長のブラームスを尊敬しつつ、同時に対抗意識を持ちながら作曲活動に勤しんでいたことを知り、とても興味を持った。ましてやブラームス自身が彼の作品を出版すべく奔走したこと自体実に微笑ましい。
才能というものは、他人からの触発によって花開き、そしてまた実を結ぶものなのだとつくづく思う。つながりというものの大切さ。
ヘルツォーゲンベルク:
・ピアノ五重奏曲ハ長調作品17(2005.12.5-6録音)
・弦楽四重奏曲ヘ短調作品63(2008.1.28-29録音)
オリヴァー・トリエンドル(ピアノ)
マンゲ四重奏団
ウルリヒ・イスフォート(第1ヴァイオリン)
アネッテ・ライジンガー(第2ヴァイオリン)
アイリーン・シュヴァルプ(ヴィオラ)
フィルミアン・レルマー(ヴィオラ)
マティアス・ディーナー(チェロ)
ピアノ五重奏曲第2楽章アダージョの美しさ、そしてクライマックスに向けての粘りとうねりに心揺れる。中間の、ピアノに現れる旋律の可憐な響きにも感動。また、終楽章プレストの、リズムといい旋律といいいかにもブラームス的な音楽に、作曲者の潔さと巨匠ブラームスへの尊崇の念に喜びを禁じ得ない。
そして、ハインリヒが1年半もの間病魔と闘い、快復した後の弦楽四重奏曲は、全編安らぎに満ちた円熟の逸品だ。特に、全体の半分を占める第1楽章レント―アレグロ・モデラートの、決して深刻でない柔和で幽玄な音楽に僕は彼の天才を見る。あるいは、6分半の第2楽章アンダンテの優しき囁き・・・。さらには、またもやブラームスの影が垣間見える終楽章ヴィヴァーチェの躍動。
彼はじっと聞き入っているようだ 静けさを 遠い世界を・・・
私たちは歩みをとめてみるが もはやそれが聞こえない
彼は星だ そして私たちには見えない
ほかの大きな星たちが彼を取り巻いている
(「仏陀」)
~富士川英郎訳「リルケ詩集」(新潮文庫)P79
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