特に最近の女流演奏家は容姿端麗、美貌が多い。それに、ジャケットがかなり綿密に作り込まれており、内容はともかくジャケット買いすることも多々。とはいえ、「面(おもて)」に惹かれて手に入れてみて、納得どころか感激する音盤も多いのだから、演奏の質と容姿の質というのは比例するのかと考えさせられる・・・。そういえば、エレーヌ・グリモーも最初はジャケ買い。バティアシュヴィリもそうだ。嗚呼、僕は何て面食いなんだろう・・・(笑)。
ここのところ、ソル・ガベッタとエレーヌ・グリモーの共演アルバム「デュオ」を繰り返し聴く。シューマンとブラームス、そしてドビュッシーとショスタコーヴィチが収録された音盤であるが、これがまたいずれも出色のできで、どの瞬間も有機的、時に2人が完全にひとつになることに大いに感化される。
「幻想小曲集」作品73は、ロベルト・シューマンが最も充実していた1849年の作で、元々クラリネットのために書かれたもの。ここでの2人の演奏は、当時のシューマンの余裕ある心情を見事に捉え切って表現しているようで、愉悦と充足感に満ちている。
ブラームスについても然り。30歳前後の血気盛ん、かつ創造力に満ち充ちていた時期のチェロ・ソナタは哀しみを湛えた音調の内側にやはり心身ともに健やかだという想いが込められていそうだ。
クライマックスはドビュッシーとショスタコーヴィチ。20世紀のチェロ・ソナタの中でも屈指のもの。ドビュッシーのソナタは最晩年、第1次大戦の最中に書かれた。音楽は研ぎ澄まされた美しさに溢れ、不思議な希望に満ちる(しかし、これが作曲された同じ年の秋に直腸癌の宣告を受けたわけで、希望と失望とが表裏一体であることを僕たちに知らしめるようで興味深い)。ここでもエレーヌとソルは「ひとつ」だ。
そして、いよいよショスタコーヴィチ。ドビュッシーからちょうど19年後に生み出されたソナタは、来るべきソビエト連邦の恐怖を知らず、妙に明るく透明な音調。特に、第2楽章などはいかにもショスタコーヴィチの音楽で、ついつい踊り出したくなる。
第1楽章は深い瞑想の音楽だ。とはいえ、決して深刻になり過ぎず、チェロもピアノも祈り、歌う(コーダの葬送行進曲の深みといったら。それに続くワルツとの対比が堪らない)。
興味深いのはソルもエレーヌも、いずれもがイニシアティブをとり、互いに協力し合うという点。そこに聴こえる2つの楽器が掛け合う瞬間の「音楽をする喜び」・・・。
もはや言葉では言い尽くせぬ。ともかく聴いてください。とても啓示に溢れた音盤。
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