たかまきやすし&アンサンブル・ベルの練習を見学させていただいた。
実に興味深かった。音楽が徐々に表情をもち、出来上がっていく様。これはおそらく人間関係、人生にも当てはまることだとひとり思った。
アンサンブルというのは、当然他の人の「音」をきちんと捉えねばならない。その上で強弱や流れを考えて自身が出す「音」を決める。アンサンブル・ベルは4声のコーラスゆえ、自分以外の3つの声部を同時に聴きとりながら歌を歌うということになる。まさに各々が「自他の調和」を志向しながらハーモニーを奏でるときに「ゼロ(調和)」という状態に自ずとなるのである。それは誰にも文句を言わせない「絶対的調和」。
やっぱり「聴くこと」が「コミュニケーション」の原点だ。そして、地に足を着け、自らの音を奏でること。「音楽をする」ことが「生き方」の向上につながることは間違いないと確信する。アンサンブル・ベルは中世・ルネサンス音楽のレパートリーが中心だという。基本的にポリフォニックな音楽を志向するのだと(ホモフォニックではなく)。なるほど、全体観を培い、しかも各々が独立しながらしかもつながりをもった響きを表現するのはポリフォニーでなければならぬ。頭脳を使いながらしかも感性をも使う、まさに全脳的アプローチ。本当に目から鱗が落ちた。
夜更けにスティーブ・ライヒを聴く。20世紀の、いわゆる「ミニマル・ミュージック」だが、ポリフォニー音楽との共通項を僕は見出す。そもそも音楽とはお祭であり、その中でも一種呪術的な側面を強調したものだ。「ミニマル」の場合、この祈りが延々と続くようなもの。時がひとつひとつ刻まれるように音楽は流れて行く。一聴何の変化もないような流れの中で、実に瞬間瞬間に異なった響きを創出する。時間は永遠であるのだけれど、今はその一瞬だけであるということを表すかのように。
スティーブ・ライヒ:
・ユー・アー(変奏曲)(2004)
グラント・ガーション指揮ロサンゼルス・マスター・コラール
・ニューヨーク・カウンターポイント(1985)
エヴァン・ジポリン(クラリネット)
・チェロ・カウンターポイント(2003)
マヤ・ベイザー(チェロ)
・エレクトリック・カウンターポイント(1987)
パット・メセニー(ギター)
・トリプル・クヮルテット(1999)
クロノス・クヮルテット
「人生ゲーム」を思い出した。つまり、人生とは同じことの繰り返しなのだけれど、いつも細かいところで異なるということ(それゆえに人は一日一日を有意義に過ごし、かつやりたいことを徹底的にやり続けるべきなんだ、誰が何と言おうと)。微妙に発展・変化しながら常に違った空間を創出する。逆に言うと、事象を完全コピーして再現することは不可能ということ。まさに音楽がそう。一期一会なり。
スティーブ・ライヒの音楽が魅力的なのはそこだ。
もちろんどの時代の音楽も「一過性」というところにポイントがある。
聴く者に「いまここ」力と覚悟を要するということ。
最後に聴かせていただいたジャヌカンの「鳥の歌」素晴らしかったです。高牧さん、ありがとうございました。
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