朝比奈隆のモーツァルトK.543&K.550(1991Live)を聴いて思ふ

mozart_39_40_asahina_osaka_philごくたまに朝比奈隆御大の音楽が聴きたくなる。あの頃、まるで追っかけのように出没したどのコンサートも懐かしい。そしていつまでも色褪せない。低声部を重視した、真に地に足の着いた、大地を揺るがすような演奏。それは残された録音を耳にしても変わらない。堂々たる風格と御大自身の座右の言である「愚直さ」が伴った類稀なもの。指揮がわかりにくいとか、素人的だとか、様々な批判的意見はあるにせよ、だからこその「真実味」を常に感じることができ、興味深いのである。
1991年、モーツァルト没後200年の記念すべき年に大阪のいずみホールで繰り広げられた音楽も実に素晴らしい。それは、いわゆる19世紀風のロマンティックなものなのだが、それでもモーツァルトの真髄を射た、テンポや音楽的表情を見事に捉えた演奏で、終演後の聴衆の怒涛の喝采を聞くまでもなくひれ伏してしまいそうになる。

朝比奈隆/モーツァルト選Ⅰ
モーツァルト:
・交響曲第39番変ホ長調K.543
・交響曲第40番ト短調K.550
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1991.11.6Live)

理想的な音楽作りがなされる変ホ長調シンフォニー。後期のいわゆる三大交響曲の中でも明快な印象を与えるこの音楽を、まさに陽光に照らされるような棒さばきで第1楽章第1主題を創出する様。ここからしてすでに感動的なのだ。後年、僕が実演で触れたときは一層テンポは遅く、まるでベートーヴェンのような音楽だったと記憶するが、1991年のものはより自然体で可憐なモーツァルトを現出し、素晴らしい。なるほど、あの頃はちょうど心身ともにスランプから抜け出しつつあり、最晩年の朝比奈スタイルを確立するかしないかの時期だったはず。だからこその「脱力」がここにあるのかも・・・。
続いてト短調の方。この人口に膾炙した、あまりに有名な音楽をいまここその瞬間に生み出したかのように演奏する姿勢。何て新鮮なモーツァルトなのだろう。少しほめ過ぎのきらいもなくはないが、お世辞抜きに御大のモーツァルトは真実を奏でていると僕は思うのだ。未聴の方にはぜひとも耳にしていただきたい。それほどに朝比奈芸術のすべてが詰まったような瞬間が多々訪れるのである。

ようやく冬らしくなる。
ようやくモーツァルトが相応しくなる。
モーツァルトで暖をとる。
哀しみも歓びも、あらゆる感情を包括する音楽を眼の前にして僕の心は躍る。

それにしても大フィルのこのシリーズはどうなっているのだろう?販売に苦戦すれば自ずと先はないのだけれど、仮にそうであるなら世の愛好家はもっと朝比奈音楽に注目すべき。
本音盤のタイトルも「モーツァルト選Ⅰ」なのだから・・・。続きが聴きたい。

 


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