偽作か真作かという問題はいつの時代も波紋を呼ぶ。古の音楽の場合、後世の研究者の誤認やら何やらで「真作」として扱われながら実はそれは誤りであったということが稀にある。しかしながら、故意に仕掛けたとなると論外。たとえ已むに已まれぬ理由があるにせよ。現代は嘘がまかり通らぬ時代。すべてが自ずと露わになるゆえ、ならば最初から背伸びしないこと。「等身大」こそわが墓碑銘。
今となってはモーツァルトの偽作として知られるヴァイオリン協奏曲。音楽の冒頭から素人的に耳にしてもまったくモーツァルト風でないのにあの頃はそういうものだと認知されたよう。しかし、残念なのは信じられていた時は飛びつくのに、そうでないとわかったときに有無を言わさずそっぽを向く態。誰が作曲しようと名曲であることに違いなく、旋律の美しさにかけては決してモーツァルトに引けをとらないというのに。
酔い覚ましにジャン=ジャック・カントロフを聴いた。
間違いなく名品だ。
モーツァルト:
・ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調K.271a(271i)
・ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調K.268(K.Anh.C14.04)
ジャン=ジャック・カントロフ(ヴァイオリン)
レオポルト・ハーガー指揮オランダ室内管弦楽団(1986.6.27&28録音)
エンジニアは穴澤健明さん。だいぶ前、一度お会いした時にいろいろとお話を聞かせていただいたことを思い出す。数々の録音にまつわる裏話をもっと聞きたかったのだけれど、結局その一度きりのまま。この人が関わる仕事はなかなかに興味深い。
そして、ライナーノーツの中で森泰彦氏は次のように述べる。
しかし魅力的な箇所も決して少なくはなく、これがモーツァルトの作品であれ、エックの作品であれ、あるいはさらに別の人物の作品であれ、18世紀末の佳曲であることに変わりはない。結局のところ、モーツァルトの名で流布してきたおかげで、私たちはここでも古典派時代の名品を楽しめるわけなのだ。
裏返せば、僕たち大衆がメディアの品評にいかに左右されているかということだ。物事の優劣はその内容の深度よりどれだけ多数が受け容れたかによるということにそもそも問題がある。ひとりひとりが真実を見通す心、真贋を見極める目を持つかが、こと芸術の世界に限らずこれからの時代大切なのだとあらためて思った次第。
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