佐村河内守氏の詳細な指示書に驚いた。作曲家の特性や作品の細かなところまで熟知していないと書けそうにないもの。しかも楽想の割合を1ケタ単位で記す様を見て、逆に感動したくらい。この人は別の形でこの能力を使えばどれだけ「本物」になり得たのか、それはそれで大した才能だと思った。
中にポーランドの現代作曲家クシシュトフ・ペンデレツキの名前がある。こういう音楽までを実際に耳にしていた(?)とは相当なクラシック音楽ヲタクだと見た・・・(笑)。元のタイトルが「現代典礼」ということだから、「ルカ受難曲」あたりをイメージしていたのだろうか(残念ながら僕は色もの的扱いのクラシック音楽には興味なく「HIROSHIMA」なる作品も聴いていなので音楽そのものを知らない)。
おそらく受難曲という形態の性質もあろう、現代音楽的手法を駆使しながらも意外にとっつきやすい。むしろ静謐な音調と恐怖を表現する大轟音を織り交ぜて「イエスの受難」を音物語にした手腕に舌を巻く。作曲者の敬虔な信仰心がはっきりと刻み込まれていることが如実にわかる。
ペンデレツキ:ルカ受難曲(「聖ルカ伝」による主イエス・キリストの受難と死)
シグヌ・フォン・オステン(ソプラノ)
スティーヴン・ロバーツ(バリトン)
クルト・リドル(バス)
エドワード・ルバシェンコ(朗読)
ワルシャワ国立フィルハーモニー合唱団
クシシュトフ・ペンデレツキ指揮ポーランド国立放送交響楽団(1989.12録音)
この音楽のクライマックスは、全曲に先んじて作曲されたア・カペラ合唱(ユニゾン、シュプレヒシュティンメ、トーンクラスターなどあらゆる方法を駆使)の「スターバト・マーテル」以降、キリストの死に至る場面だ。物語そのものももちろんのこと、ペンデレツキの音楽の懐の深さと祈りの深遠さにひれ伏したくなるほど。
愛の泉である母よ
私にその悩みのほどを感じさせ、
あなたとともに泣かせてください。
この後に続く、「正午に近いころ、大地一帯が闇になり」は背筋が寒くなるほどの恐怖を煽るが、一方でここには「凍るような美しさ」がある・・・。
最終節の絶唱(あなたは私をお救いになったのです)とオルガンを交えてのオーケストラ全奏による終結数十秒は実に重く崇高・・・。
深夜に微かに響き渡る「受難曲」。バッハに対する尊敬と、神に対する崇敬と・・・。
いつのどんな時代においても音楽のもつ「目に見えない力」というのはとても尊い。
メディアの力を借りるのでなく、あるいは鵜呑みにするのではなく、自身の耳で確かめることが大切だ。それにしても佐村河内氏はある意味「天才」。使い方さえ間違っていなかったなら・・・。真に惜しい。
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[…] 「ルカ受難曲」第1部「キリストの受難」から第1曲「ああ唯一の望みである十字架よ」を聴いて、僕は魂から震えた。 ペンデレツキの哀しみが、彼自身の重みのある思念が音の一粒一粒 […]