アルフレード・クラウスのオーベール「ポルティチの唖娘」を聴いて思ふ

auber_la_muette_de_portici_kraus079人間のあざとい思考のぶつかりに過ぎない。そこには真の信仰などないのだと思う。200年近く前のフランスでも、復古王政の打倒と言論の自由を目的に革命が起こった。フランスでは「栄光の3日間」と呼ばれる7月革命である。そこにはフレデリック・ショパンがいて、フランツ・リストもいて、そしてエクトール・ベルリオーズもいた。

かれこれ四半世紀前、フランソワ・レシャンバック監督の「バレエの時~モーリス・ベジャールの肖像」を初めて観た時とても感激した。二十世紀バレエ団の、当時のトップ・ダンサーたちの日常やリハーサル、あるいはインタビューに応える姿などは今観ても実に生々しく刺激的だ。

映画は、モネ劇場での「エロス・タナトス」と「ラ・ミュゼット」の公演を軸にドキュメンタリー・タッチで綴られているのだが、ジョルジュ・ドンの踊るボレロやアダージェットはもちろんのこと、森下洋子とドンによる「ライト」のパ・ド・ドゥに腰を抜かすほど感動した。もちろんベジャールが使用したヴィヴァルディの作品や、マイアベーアの楽曲、あるいはオーベールの歌劇「ポルティチの唖娘」からの音楽などについても音源を探して繰り返し聴いた。懐かしい思い出だ。

そういえばワーグナーの歌劇「リエンツィ」は、まさにオーベールの「ポルティチの唖娘」に影響された作品であるという。今でこそほとんど舞台に乗ることのなくなった作品だが、「ポルティチ」はいかにも1830年前後の、革命の機運高まるフランスの地に相応しい、絢爛豪華なる開放的な音楽と、大衆好みの筋を持つ悲喜交々のオペラ。最後にヴェスヴィオ火山が噴火するという設定は荒唐無稽ではあるが、ここで繰り広げられる美醜様々の人間模様は後のヴェリズモ・オペラの先駆けの如くでとてもわかりやすい。

オーベール:歌劇「ポルティチの唖娘」
ジューン・アンダーソン(エルヴィーラ、ソプラノ)
アルフレード・クラウス(マサニエッロ、テノール)
ジョン・エイラー(アルフォンソ、テノール)
ジャン=フィリップ・ラフォン(ピエトロ、バス)
アラン・ムニエ(ロレンツォ、テノール)
フレデリック・ヴァッサール(ボレッラ、バス)
ジャン=フィリップ・カーティス(セルヴァ、バス)、ほか
ジャン・ラフォルジュ・アンサンブル・コラール
トーマス・フルトン指揮モンテ・カルロ・フィルハーモニー管弦楽団(1986.9録音)

第5幕を聴いて思う。冒頭はピエトロによる「舟唄」だが、この旋律はいかにも「椿姫」の「乾杯の歌」にそっくりで、19世紀末頃まではヨーロッパで最も人気のある作品のひとつだったというからヴェルディがその旋律に惚れ、(無意識に)拝借したと考えられなくもない。
それにしても全編を通じて活躍するマサニエッロに扮するアルフレード・クラウスの歌唱の素晴らしさ。実に優雅で端整なその脱力的声質は、ピエトロ、ボレッラ、マサニエッロ、エルヴィーラ、そしてアルフォンソの5人と合唱によって歌われる第18番フィナーレにおいても他を圧倒する(というか完璧にリードする)。
惚れ惚れする美しさ。

 

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