ムラヴィンスキーのチャイコフスキー第5交響曲(1982)を観て思ふ

tchaikovsky_5_mravinsky_1982_dvdまたしてもムラヴィンスキーの「新譜」が出たらしい。店頭で見かけ、もはやチャイコフスキーの第5番は打ち止めと思っていたのに思わず手を出した。かつてアナログ盤初出のとき世間を騒がせた「ウィーン・ライブ」ボックスに収録されていたもの。そう、当時高校生だった僕は1万円もする高価なセットは買えなかった。でも、それで良かった。なぜなら、確かに前評判は高かったのだけれど、その音質の惨めさに失望の声もたくさん挙がっていたから・・・。

それにしても数え切れないほどのチャイコフスキー第5番。そのすべてを聴いたわけではないが、ムラヴィンスキーの十八番だけあっていずれも名演。第1楽章コーダの、クライマックス後に第1主題のモティーフが消え入るように奏でられるところで、合いの手のトランペットを浮き立たせる解釈はムラヴィンスキーならではで、ここにこそこの指揮者の真髄があるように僕は思う。

いまだ手元のウィーン・ライブは聴かず。
代わりに、1982年のおそらくリハーサル風景を収録した映像を視聴する。何という厳しい表情。繊細なる静寂と怒涛の轟音が同居する奇蹟の音楽。指揮棒を持たない両手が、宙から美しい音楽を紡ぎ出すようにオーケストラをコントロールする。これほどに神々しい指揮姿はない。

第2楽章アンダンテ・カンタービレの哀愁。しかし、決して涙を呼ばない悲しみだ。ずしんと堪える、何か重いものが心の奥底に突き刺さる。
第3楽章ワルツの幻想性。そして、アタッカで突入するフィナーレはこの演奏の白眉。ムラヴィンスキーの動きと音楽の動きがますます「一体」となってゆく様・・・。コーダに向かって突進してゆくとき、ムラヴィンスキーには後光がさす。

僕の人生の痛恨事のひとつはムラヴィンスキーの実演を聴けなかったことだ。音楽に興味を持ち始めた頃、「レコード芸術」誌上で最後の来日公演の告知(1980年)を見かけた記憶はある。しかしそれは、指揮者の病気を理由にキャンセルされ、幻となった。もちろん仮に実現していたとしても、果たしてその当時の僕がその公演のチケットを入手し得たかどうかは不明。

チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1982収録)

嗚呼、何度観ても感動的。思わず金縛り・・・。本当に素晴らしい音楽であり、演奏・・・。

 


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