




ムラヴィンスキーによる、この有名な交響曲の残された録音の中でも随一といえる演奏。
音質は人工的な臭いがして、決して良好とはいえないが、レニングラード・フィルの確かなアンサンブルに裏打ちされた絶対的表現に言葉がない。
ツアーの壮大なフィナーレはオーストリアで、ウィーンでのコンサートはこの指揮者の特別な成功となった。「ウィーン祝祭週間の頂点のひとつは、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団—精密で輝かしいテクニックを持ち、リズムは匹敵するものがないアンサンブル—の演奏だった」と当地の新聞は書いた。ムラヴィンスキーの演奏はオーストリア国営放送により生放送され、これらのテープからブラームス、シューベルト、ショスタコーヴィチ、チャイコフスキーのレコードが作られた。オーストリアの音楽学者ルドルフ・ハニセイは、レニングラードの指揮者のオーケストラとの仕事ぶりが外科医か精神科医の仕事を思い出させるようで、「彼は直ちに過ちを診断し直すことができる」と書いている。
~ グレゴール・タシー著/天羽健三訳「ムラヴィンスキー高貴なる指揮者」(アルファベータ)P312
確かにそのリズムは匹敵するものがない唯一無二のものだ。
ムラヴィンスキーの深遠かつ颯爽たる解釈は、録音に収まり切るものではないだろうが、残された録音から当時の模様を想像しながら耳を傾けるのは乙なものだ(気がつくと音楽そのものに惹き込まれているのだからすごい)。
ウィーンでのある演奏会の聴衆のひとりに、偉大なバレエ・ダンサーのルドルフ・ヌレーエフがいた。彼はキーロフ劇場のダンサー時代に、レニングラードでのムラヴィンスキーのコンサートを何度も聴いていた。このコンサートの後、ヌレーエフはアレクサンドラ・ヴァヴィーリナに近づき、ムラヴィンスキーに会えないかと頼んだ。約束の時間に、彼はムラヴィンスキーのホテルを訪ね、過ぎ去った日々のことを話して楽しくも懐かしいひとときを過ごした。別れ際に、ヌレーエフは巨匠に頭を低く下げて、ともに過ごせたことに感謝して彼の手にキスした。それは国外に亡命した男と、すべてを拒みながら国の内外で成功を収めた男、ともに偉大な芸術家で愛国者のただ一度の会合だった。
~同上書P313
天才は天才を刺激し、たった一度の邂逅がまたそれぞれにインスピレーションをもたらすのだろうと思う。
ムラヴィンスキーの日程に他のコンサートに出かける余裕があったなら、レナード・バーンスタインがウィーン・フィルを指揮したショスタコーヴィチの交響曲の感傷的で陽気な演奏を聴きたいとの願いがあったが、残念ながら実現しなかった。
~同上書P313

いずれもアレクサンドラ夫人の回想によるものだが、人間ムラヴィンスキーの人間らしい一面を示すエピソードだ(ムラヴィンスキーがバーンスタインのショスタコーヴィチに興味を抱いていた事実が素敵だ)。
・チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1978.6.12&13Live)
ウィーンは、ムジークフェラインザールでの実況録音。
ffでの恐るべき爆発力にその日の聴衆はのけ反ったことだろう。
どこまでもムラヴィンスキーのチャイコフスキーだと一聴瞭然だが、ライヴならではの強烈な音圧を感じ取れるところが素晴らしい(第2楽章アンダンテ・カンタービレのコーダなど)。
1978年といえば3回目の来日を果たした翌年である。指揮者とオーケストラは、まさに絶好調という気がする。これだけ自在に、生き物のように動く音は唯一無二であろう。それにしても、こんな凄い指揮者を二度も聴けたのは、本当にありがたかった。
(平林直哉)
~ALT287ライナーノーツ
全編にわたって生き生きとした演奏に、ムラヴィンスキーも間違いなく興に乗っているような印象。「生き物のように動く音」とは、うまい表現だと思う。
