
きみの体調が、まえより良くなって、だらだらした病気を幸いにも克服しつつあるとのこと、それを読んで、ぼくはほんとうに嬉しい。今度の冬、おそらくは12月の初めに、ぼくはベルリンの王立管弦楽団で、きみの『第3シンフォニー』を演奏するよ! このことをきみに、いま知らせるのだが、回復期の陰うつな時期にあるきみは、ひょっとして喜んでくれるかもしれないね。もし、きみが自身で指揮をする気持ちがあるなら、きみはあの管弦楽団を喜ぶことだろうが、きみの素晴らしい作品をふたたびきみ自身の指揮のもとで聴ければ、ぼくはほんとうに嬉しいことだろう。もちろん、ぼく自身だって自分で指揮したいと思っているのだが。いずれにしても、ぼく自身、きみのために、もちろん準備の練習をしておいてあげるよ。きみが面倒なまねをしないで、ただ喜びだけを感じるように、とね。
きみがまもなく全快してくれればと、心から願っている。きみの健康状態には、ぼくと同様心から同情し、あれこれと気遣っているぼくの家内からも、くれぐれもよろしくとのことだ。
(1911年5月11日付、シュトラウスからマーラー宛)
~ヘルタ・ブラウコップ編著/塚越敏訳「マーラーとシュトラウスある世紀末の対話―往復書簡集1888-1911」(音楽之友社)P188
1週間後(5月17日)に亡くなってしまうとは予想もしなかったシュトラウスの、マーラー宛最後の手紙が妙に明るい。それゆえに、盟友の死を知ったときのシュトラウスの気持ちは、落胆はいかばかりだったろう。

ちょうどこの頃、リヒャルト・シュトラウスはフーゴー・フォン・ホーフマンスタールと共同で「町人貴族」(「ナクソス島のアリアドネ」)の創作に没頭していた。両者の綿密な書簡での打ち合わせは、実に腹を割った、真剣そのものの緻密なやり取りの応酬で、こうやって世紀の名作たちが生み出されたのだということが腑に落ち、実に興味深い(これぞアウフヘーベンの権化だ)。
ところで話は変わりますが、私はモリエールのアイディアも暖めております。これまでずっと、彼の作品の中ではあまり知られていないもののことばかりを考えておりましたが、パリで突然、モリエールの《町人貴族》が、オペラ風の劇中劇を挿入するのにぴったりだ、という考えが明確な形で浮かんできたのです。《町人貴族》は5幕からなっていますが、私はこれを容易に2幕に縮めることができます。
(1911年5月15日付、ホーフマンスタールからシュトラウス宛)
~ヴィリー・シュー編/中島悠爾訳「リヒャルト・シュトラウス/ホーフマンスタール 往復書簡全集」(音楽之友社)P103-104
「劇中劇」は、そもそもはホーフマンスタールのアイディアであったことがわかる。
そして、これに対し、シュトラウスは驚喜する。そして、《町人貴族》のシノプシスを読み、シュトラウスは、前半は良いが、後半は「山場」「オチ」が欠けていると率直な意見を返すのだ。
これはとても楽しい仕事になりそうです。きっと何か独特の魅力的なものを書き上げられると確信しています。待ち切れぬ思いで、あなたの原稿を待っています。
マーラーの死は私には大変なショックでした。死後になって、ウィーンでも彼は偉大な人物ということになるでしょう。
(1911年5月20日付、シュトラウスからホーフマンスタール宛)
~同上書P106
往復書簡によって作品の成立過程がより明白になり、物語の構造が一層明確になるが、二人の芸術家がいかに切磋琢磨の中にあって、それによって稀代の傑作がどのように編まれて行くのか、その様子を具にとらえることができることが嬉しい。
ホーフマンスタールは書く。
このように互いに率直に意見交換ができますことを、私は大変うれしく思っております。お便り、本当にありがとうございました。出来る限り互いに高め合おうではないか、というあなたのお言葉以上に喜ばしいお言葉はございません。どうかできるだけ早く、手紙と原稿のコピーをお送り下さい。心を込めてそれを何度も熟読し、検討し、比較することに致しましょう。
(1911年7月23日付、ホーフマンスタールからシュトラウス宛)
~同上書P122
芝居とオペラを一緒にするというモリエールの「町人貴族」のアイディアは、結果的に失敗に終わったが、これには(劇中劇の失敗、上演時間のあまりの長さなど)様々な説がある。
ただし、ホーフマンスタールとしては、劇場の大きさに起因するのではないかという思いもあったようだ。
しかし、大劇場で演じられたモリエールは、やはり私には理不尽としか思えません。劇場は大変入りが悪く、空席ばかり目立つ巨大な空間で演じられる喜劇は、どこか物悲しいものがあります。何としても、こんなことをミュンヘンで繰り返すことは避けなければなりません。
(1912年12月5日付、ホーフマンスタールからシュトラウス宛)
~同上書P178
なるほどと膝を打つ。
そして、そういう経緯の中での、汚名返上とでも言わんばかりのオペラ「アリアドネ」再構成のための互いの綿密なやり取りがまた興味をそそるのだ。
もちろんシュトラウスは発奮する。
ワーグナー的《頭でっかちの音楽作り》はもうやめて欲しい、とあなたが切実な叫びをお挙げになったことは、私の心に深く刻まれています。あなたのご警告は、全く新しい分野への扉を押し開いて下さったのです。その新しい分野で、私は《アリアドネ》の、特にあの新しい序景の経験を生かして、非ワーグナー的な軽い喜劇的オペラ、心情的オペラ、人間的オペラへの領域へ進むことができればと望んでいます。進むべき道を、私ははっきり目の前に見ており、あなたが私の蒙を啓いて下さったことを感謝しています。しかしあなたは、そのために必要な台本を書いて下さらなければなりません。
(1916年8月16日頃、シュトラウスからホーフマンスタール宛)
~同上書P313
シュトラウスにしてみれば、優れた台本あってのオペラなのである。
そのことをまた率直に依頼する巨匠の本気さが伝わる書簡だ。
その上で、この室内オペラ(?)の傑作が誕生したというわけだ。
ベルリンの《アリアドネ》は、なかなかよい上演でした。しかし、真の成功とは言えません。序景は全然正しく理解されなかったのです。あの愛の二重唱のために、クルツやレーマンのような輝かしい声の持ち主を見つけられなかったのも、原因の一つなのでしょう。(中略)
《アリアドネ》は12月初めにドレスデンで上演されます。あなたもおいでになりませんか。それからブレスラウ、ライプツィヒ、デュッセルドルフが続きます。ブルーノ・ワルターとこのあいだ偶然列車の中で出会い、ゆっくり話し合って、例の件が撤回されれば(つまりミュンヘンの状況が改善されれば)という条件付きで和解しました。彼は《アリアドネ》を1917年の秋に上演したいと言っています。
(1916年11月9日付、シュトラウスからホーフマンスタール宛)
~同上書P316
ブルーノ・ワルターによる「アリアドネ」も聴いてみたいところだが、録音は遺されてないように思う。
カール・ベームのドイツ・グラモフォン3度目の「アリアドネ」はセッション録音。
序幕のオーケストラ前奏から明朗で、極めて美しい。


過去のいずれの録音もライヴで素晴らしい出来だが、脂の乗ったこの時期のベームのシュトラウス・オペラは本当に素晴らしい。どこでも賞讃されているが、ツェルビネッタを歌うレリ・グリストのアリア「偉大なる王女さま」の可憐な歌など聴きどころのひとつだが、やはりオペラ後半のアリアドネとバッカスの二重唱のシーンを外すわけにはいかないだろう。
この二人があまりにも早く洞窟の中で姿を消してしまうのは、音響的にいってどうも気に入りません。練習番号328からの、姿の見えない箇所は、実に具合が悪いのです。ですから、この洞窟と風景を奈落へ消してしまって、広々とした海への眺望だけが残る、そして練習番号326からバッカスの船が見えてくる、というふうにしましょう。アリアドネとバッカスは328から、彼らの長い二重唱を舞台のごく前の方、プロンプターボックスのところで歌います。高いBの音が何度も出てくるこのようなテノールの聞かせどころを歌うには、昔からのよきイタリア方式で、ここが一番しっくりいく場所なのです。
バッカスが、322のところですっかり歌い終わってしまったら、彼はアリアドネと抱き合い、海の方、船の方に歩いて行きます。私はそこにちょっとした短い、輝かしいオーケストラの後奏を書くつもりです。その間に幕がおります。
この方がよくはないでしょうか。
(1916年5月12日付、シュトラウスからホーフマンスタール宛)
~同上書P295
シュトラウスの明晰さ。創造力の素晴らしさ。
これに対し、ホーフマンスタールは完全同意しつつ、以後もいくつかのやり取りでオペラを一層ブラッシュアップしていくのである。本当に共同作業の見事さを教えていただける貴重なドキュメントである。
そして、ベーム指揮バイエルン放送響のよるこの録音のクライマックスはまさにこの部分にあるのである。