アバド指揮ウィーン・フィルの「ウィーン・モデルン」(1988.10Live)を聴いて思ふ

ジョン・ケージは語る。

音楽は魂を揺り動かす―マイスター=エックハルトによれば、魂は散在する諸要素を集め、ひとつに束ねる。音楽を実践する人は意見を同じくする。
ナティエ&ピアンチコフスキ編/笠羽映子訳「ブーレーズ/ケージ往復書簡1949-1982」(みすず書房)P52

確かに音楽には、どんなものであろうと人々の魂をひとつにする力がある。
音楽の力の根源は、リズムだろうか。

ニューヨークでメシアンに会いましたか?目下《トゥランガリラ》の初演のためにボストンにいると僕は思いますが、この(音楽作曲家兼リズム研究家による)たくさんの楽章からなる交響曲は、数年後には(もっと)長くなるんでしょう(人々が皆クレージーになるまで)。あなたはジョリヴェによる有名な(??!)オンド・マルトノのための協奏曲を聞いたことがありますか?まったくのゼロです。
(1949年11月27日付、ピエール・ブーレーズからジョン・ケージに宛てた手紙)
~同上書P47

「トゥランガリラ」も確かにリズムの饗宴だ。
現代音楽の潜在的リズムを感知すること。極言すれば、現代音楽にはリズムしかないように僕は思う。

昨夜は、「フランス音楽回顧展Ⅰ—昇華/飽和/逸脱~IRCAMとその後~」(すべて日本初演の作品たち)だった。手もとにチケットはあったが、仕事のため残念ながら欠席。その場にいたら、(フランス的アンニュイな暗澹たるリズムの宝庫に?—勝手な想像)僕はたぶん感極まっていたのだろうと思う。音楽は生き物だ。

ウィーン・モデルンⅠ
・リーム:混声合唱と22人の奏者のための「出発」(1988)
・リゲティ:大管弦楽のための「アトモスフェール」(1961)
・リゲティ:大管弦楽のための「ロンターノ」(1967)
・ノーノ:混声合唱と器楽のための「愛の歌」(1954)
・ブーレーズ:管弦楽のための「ノタシオンI-IV」(1945/1978)
ウィーン・ジュネス合唱団
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1988.10Live)

30年前のムジークフェラインザールでの実況録音。
アバド指揮する現代音楽の特長は、何と言っても潤い。
とかく「無味乾燥な」印象の拭えない前衛音楽たちが、ひとつ残らず瑞々しく、そして心にすんなりと沁み込むように設計されるのだから凄い。リームもリゲティも、もちろんノーノも素晴らしいが、1945年にピアノのために書かれ、78年にそこから4曲が選ばれ管弦楽化されたブーレーズの「ノタシオン」の驚くべき劇性。何と色彩感に満ちた音楽よ、そしてアバドらしい色香を持って、ウィーン・フィルの特色を最大限に生かしての演奏よ。

僕は、蛮族の典型として、貴君を選び、貴君を推挙します。私たちの文明が抱え込んでいる疲弊したもの、不必要になったもの、確実だと保証されたものを無造作に破壊してくれる人たちのモデルとしてです。僕たちは、そうした人たちなしには済ませられないのです。しかも、貴君の野蛮さにはユーモアが付き物で、だからこそ、野蛮さもまったくもって容赦可能になるわけです!
(1982年9月23日付、ピエール・ブーレーズからジョン・ケージに宛てた手紙)
~同上書P251

ケージの芸術・文芸コマンドゥール勲章授与に際し、ブーレーズがケージの70歳の誕生日を祝って出した手紙の一節である。ケージに宛てた内容は、宛てた当人、ブーレーズにも当てはまる(自らにないものを他人の内に発見することは不可能ゆえ)。野蛮さとユーモアの混淆。強いて言うなら、その上に洒脱さが加わるのが、ピエール・ブーレーズの音楽だ(いつぞや聴いたエマールの、アンコールでの「ノタシオン」抜粋も素晴らしかった)。

 

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