モーリス・ベジャール監督・脚本・振付「そして私はベニスに生まれた」を観て思ふ

bejart_je_suis_ne_a_venise二十世紀バレエ団のかつてのダンサーたちは今どうしているのだろう?

ダンスは機械的だというフィリップ・リゾンに対してショナ・ミルクは生命そのものだという。
ほとんどコラージュ的な手法で2つの物語が同時進行するモーリス・ベジャール作「そして私はベニスに生まれた」は、人間の深層にある不安と歓びを、そして分断と一体を夜と昼との戦いに掛け、しかも輪廻によりそのことは途切れることがないことを謳う。

小間切れのように表現される、「現代」のダンス・シーンが素晴らしい。
例えば、ベートーヴェンの第9交響曲、「歓喜の歌」による群舞では、ジョルジュ・ドンのソロと二十世紀バレエ団の類稀なるシーンがベジャールの次の言葉とともに表現される。

人と人との間に、ほしいままに建てられた悲しみの壁が
今や宇宙による調和を告げる福音によって
人々は隣人と共にあると感じる。
単に結びつき、融和し、融け合うのではなく、
あくまでも自我を失わない、
引き裂かれたマヤのヴェールの、その切れ端すら漂わぬ
そうした神秘を前に原初の芸術が・・・。

第9交響曲の「人類皆朋友」の精神が見事な踊りによって表現される。
あるいは、ショナがフィリップに語る次の言葉も「すべてがひとつである」ことを表明する。

あなたと寝るときはあなたのことだけ。
踊る時は皆とセックスしてるみたい。
特に戸外で踊る時は、あらゆる自然とセックスするの。
大気と、星々と、夜と・・・。

その後の、フィリップと半裸のショナによる浜辺でのパ・ド・ドゥは、エロティックという概念を超え、「愛」そのものだ(それは「春の祭典」以上の衝撃かも)。

そして私はベニスに生まれた(1975年フランス映画)
監督・脚本・振付/
モーリス・ベジャール
キャスト/
ジョルジュ・ドン
バルバラ
フィリップ・リゾン
ショナ・ミルク
二十世紀バレエ団総出演

jorge_and_philip映画内に織り込まれるもう一つは、中世の太陽神(ジョルジュ・ドン)と月の女神(バルバラ)、そしてその間に生まれたアンジェロ(フィリップ・リゾン)の物語。いわゆるエディプス・コンプレックスが軸となる、アンジェロが父を殺害しようとし、最後は逆に父によって葬られるというもの。昼を怖れ、太陽を殺そうとするアンジェロが、幾世紀かの後輪廻し、旅人となり、ベニスでショナと出逢うというわけだ。そして彼は最後にダンサーとなることを決意する。

途中、ドンがリゾンに旅に出るよう薦め、ボードレールの「悪の華」を手渡す。そこへバルバラの歌唱・・・。

旅へのいざない
わぎ妹子よ、わが恋人よ、
もろ共にわれらゆき、かの国に住み!
心ゆくばかり、恋をし、
恋をして、さて死ぬる、
汝に似る、かの国に行き!
曇りがちなる、空に照る、
うるみがちなる、日のひかり、
それさえ、われに、なつかしや、
不可思議めきて、
涙のかげに輝ける、
いつわり多き、汝が眼とも。
ああ、かしこ、かの国にては、ものみなは、
秩序と美、豪奢、静けさ、はた快楽。
ボードレール著・堀口大學訳「悪の華(1861年版)」P130-131

モーリス・ベジャールは20世紀の奇蹟だと断言する。

 

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10 COMMENTS

小平 聡

二十世紀バレエ団、懐かしいですね。
昔ばなしになりますが、198?年だったか、バレエにはまったく知らなかった私が彼らの舞台「エロス・タナトス」を香港で観たのです。話のタネに程度に観に行ったのがその舞台に圧倒され、舞台のはねた後すぐにチケットセンターで翌日のチケットを買い、二晩続けて同じ舞台を別アングルで観ました。その時メインの「ボレロ」を踊ったのがショナ・ミルク。彼女のしなやかな踊りは周りの男たちを巻き込んで(挑発してというのが適当かな)ただただすばらしかった。以来、べジャールの「ボレロ」はジョルジュ・ドンでもシルビー・ギエムでもなく、ショナなんです。
それに、マーラーの例のアダージェットを踊ったジル・ロマンやミシェル・ガスカール、それに小林十市さんも名前を連ねていたのではなかったか。彼らはいまどうしているんでしょうね。皆さん50代か60代、それぞれが一線を退き後進の指導にあたっているのでしょう。たしかジル・ロマンはモーリス・ベジャールの志を継いでベジャール・バレエ・ローザンヌのディレクターを務めていたのでは。
岡本さんの一文はあの時の感動を鮮明に呼び覚ましてくれました。

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岡本 浩和

>小平聡様
「エロス・タナトス」を生で観られているのですか!羨ましい限りです。
あれは1982年の来日公演でも取り上げられ、NHKでも放映されていたのですが、当時はベジャールの存在すら知らず、後になって何度観たいと思ったことか、つい昨日のように思い出されます。
今でこそ動画サイトで観られるので、良い時代になったものです。
あの頃の20世紀バレエ団は本当に素晴らしいと思います。
僕が初めて観たのが1988年で(あるいは89年)、以降来日の度に通いましたが、92年にジョルジュ・ドンが亡くなり、一気に熱が冷めました。
それにしてもバレエをまったく知らない人を釘付けにし、2晩通わせるエネルギーは大変なものですね。
良い時代でした。

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小平 聡

82年でしたか。日本公演に前後して香港でも同じプログラムで公演されたのだと思います。日本ではたぶんジョルジュ・ドンがボレロを踊ったのでしょうね。香港にはドンは来なくて、いわばその代役としてショナ・ミルクが躍ったのでしょうが、そんなことはみじんも感じさせない舞台でした。
ドンが亡くなって数年後にベジャールも亡くなり、私にとってもこのバレエ団はいつしか遠のいてしまいました。ちょうどビスコンティが亡くなってイタリア映画が遠のいたように(例えがちょっと違うかな・・・)。

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岡本 浩和

>小平聡様
ニコニコ動画で当時のNHKで放送されたものを全曲観ることができます。
ここでもショナ・ミルクが「ボレロ」のソロを踊っております。「アダージェット」はジル・ロマン、「恋する兵士」はミシェル・ガスカールと、おそらく小平様がご覧になった香港公演とまったく同メンバーでの公演だったのだと推測します。
この時の来日では「魔笛」も披露されましたが、同じくニコニコ動画にアップされているものの、観ておりません。
何となくドンはこちらにも出ていないように思うので、来日しなかったのか、それともこの2つ以外のプログラムがあり、そちらには出演していたのか不明で何とも歯がゆいです。

とはいえ、ドンが逝き、ベジャールも逝ってしまって遠のいたというお気持ちはよくわかります。
ヴィスコンティが亡くなった時は小学6年生でしたので、残念ながら意識の外でした・・・(笑)

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小平 聡

そうでしたか。
情報ありがとうございました。早速ニコニコ動画で観てみます。
ちなみに香港では「エロス・タナトス」のみ、「魔笛」は上演されませんでした。

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みどり

82年の日本公演にジョルジュ・ドンは来日していました。
「ボレロ」はショナ・ミルクと、「アダージェット」はジル・ロマンとの
ダブルキャストが組まれていました。
当時、ジルはまだ日本で殆ど知られておらず、「ジョルジュ・ドンに
比べて深みがなく若い」と評価はあまり芳しくなかったように思います。

私が観たのはジルの方でしたが、何とも表現し難い魅力があって
「将来はどんなダンサーになるのだろう?」とワクワクしていました(笑)
ミシェル・ガスカールは現在ルドラのディレクターを務めていますね。
http://www.bejart-rudra.ch/pen_directeur_01.php

ベジャールが亡くなって、バレエ団の存続やダンサーの去就について
色々と取り沙汰されていたこともありましたが、バレエ団はジルが、
バレエ学校はミシェルが引き継ぎ、その活動が続けられていることを
一ファンとして本当に有り難く思います。

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岡本 浩和

>みどり様
さすがみどりさん!!かゆいところにすぐ手が届くというか・・・(笑)
ありがとうございます。
なるほど!ダブルキャストでしたか!
そうなるとドンが出た方も観たくなりますね。偶然なのでしょうが、NHKはどうしてドンの方を撮らなかったのでしょうね?人気的にも一般が観たいのはドンの方だったと思うのですが・・・。それとも何か事情があったか・・・。
僕が20世紀バレエ団に出会ったのは、ちょうどベジャール・バレエ団に改称された時で、この時ジルはすでに一線で活躍していましたから、立派なものでしたよ。
それにしても82年の20世紀バレエ団もご覧になられているとは!!!
さすがです!!!
ちなみに、ニコニコ動画で確認する限りジルのダンスは素晴らしいものだと思いますが。まぁ、先入観もあるのでしょうが・・・。

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小平 聡

岡本様、みどり様
NHKの映像を観ました。忘れていたところやステージサイズ・カメラアングルなど印象は少し違いましたが、いいですねえ。ひとときタイムスリップしました。
なぜドンのほうを撮らなかったのかという疑問は残りますが、こうしてショナのボレロをまた観ることができ、感謝です。
どうもありがとう。

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みどり

東京は相変わらずの蒸し暑さで…歳のせいか応えます(笑)

ギエムが来年末での引退を表明されたそうですね。

私たちの世代は、ギエムをデビュー時から観ることができたので
ギエム自身の決断なのだと思いますが、その時が来たのか…と。

確か82年の来日時だったと思うのですが、ジョルジュ・ドンが
「ダンサーは40歳くらいになったら、別な道を探さなくてはいけない」
という意味のことを、インタビューで仰っていたのです。

それから暫くして、いろいろな心境の変化もあったのでしょうが
「60歳になったら60歳の踊りがあると思う」と仰るようになったのに…
早かったですね、亡くなるのが。

岡本さんはちゃんと長生きなさって、ご自身が担った役割を
きちんと果たさなければなりませんよ!(笑)

ボストンももう少しですから♪

十分にリフレッシュなさって、お元気で帰京されますよう祈り上げます。

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岡本 浩和

>みどり様
高原も意外に暑いですよ(笑)
夜はとても涼しいですが・・・。

ギエム引退ですね。
まぁ、それだけ時が経過したということです。
ドンの言葉は重みがありますね。確かに肉体的には40まで位しか無理なのでしょうが、表現力という意味では40以降に一層の深みが出るのだと思います。
それにしてもドンが亡くなってもう20年以上経つんですよね・・・。早過ぎました。

はい、僕はたぶん長生きします・・・(笑)
ありがとうございます。
みどりさんもぜひとも長生きしていただいていろいろと使命を果たしてください。
そうそう、ボストン間もなくですね。楽しみです。

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