クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィルのブラームスを聴いて思ふ

brahms_2_3_knappertsbusch_1944_berlinクナッパーツブッシュのブラームスを聴いて考えた。
巨大な造形や深い呼吸から生み出される「巨人の音楽」は、古い音質を超えて聴くものの心に迫るが、何よりその爆発力に秘密があるのだろうと。
フレーズとフレーズのつながりを決して滑らかにはせず、即興的に「ため」を作って、一気に解放するときに生じるカタルシス。交響曲第2番終楽章アレグロ・コン・スピリートのコーダについて然り、あるいは交響曲第3番第1楽章アレグロ・コン・ブリオの再現部におけるそれ然り。
いずれも1944年のベルリン・フィルとの実況録音(あるいは聴衆なしのゲネプロ)にみる怒涛のうねりに顕著。抑制と解放と、すべてが陰陽のうちにあるかのように、クナッパーツブッシュの音楽も内に明暗を含み、山があり谷がある。その独特の「機微」に僕たちは間違いなく感動するのである。

まさに金縛りの音楽。フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルを操り、フルトヴェングラー同様、動的な演奏だが、まるで正反対のアウトプット。かつて米ブルーノ・ワルター協会から(邦盤は日本コロムビア)リリースされていたアナログ盤の解説で宇野功芳氏は、クナッパーツブッシュの本演奏について次のように分析する。

フルトヴェングラーの表現も多分に即興的であるが、彼の頭の中には全体の見通しがくっきりと像を結んでいるのだ。クナッパーツブッシュは違う。第1楽章から第4楽章まで、音楽はただうねってゆく。われわれが感じるのは、部分部分の心だけであるが、全曲を聴き終わった後、ずっしりとした手応えと、たとえようもない感動とが残される。他の指揮者がこんな演奏をしたら、まったくとりとめもないものになってしまうだろうが、クナがやると、造形にしばられていないために、いっそう幻想が羽ばたき、心だけが強烈に迫って来るのだ。それは苦しみと寂しさの極みである。こんなブラームスをぼくは初めて聴いた。おそらく、この苦しみと寂しさはブラームスではなく、クナのそれに違いない。
しかも大波のようにうねる人間感情凄まじさを、彼はおそらく6,7分の力で指揮しているのだろう。彼がちょっと指揮棒の先を動かすだけで、強烈なエネルギーがほとばしり、それがオーケストラをかくも燃え立たす。フルトヴェングラーが全身全霊をこめて音楽に体当たりするのとは反対に、クナは自らは動かずに人を動かしてしまうのだ。実におそるべき巨人であり、畏怖の念を禁じ得ない。
~日本コロムビアOW-7221→-BSライナーノーツ

ブラームス:
・交響曲第2番ニ長調作品73(1944.3.26Live)
・交響曲第3番ヘ長調作品90(1944.9.9Live)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

宇野さんの言葉通り、十八番のヘ長調作品90は実に堂に入り、クナッパーツブッシュならではの驚異のパフォーマンスが繰り広げられる。
第2番ニ長調の方も立派。第1楽章アレグロ・ノン・トロッポのコーダにおける揺れる妖艶な響きは、クナが稀代のロマンティストだったことを物語る。そして、終楽章アレグロ・コン・スピリートのコーダでは、一瞬テンポを落としつつ、すぐさま加速してゆく様の妙味。何よりクナらしく、音楽が終盤に進むにつれテンポが遅くなり、あまりの呼吸の深さに吸い込まれるような錯覚を覚えるのである。

ドイツが破滅に向かっていた激動の戦時中に、祖国を鼓舞せんと音楽家はほとんど身を投げるように芸術に奉仕した。怪人クナッパーツブッシュの想いも同様。
これほどに内燃する、火傷しそうな音楽は聴いたことがない・・・。

 

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