ベートーヴェンの真意は、特定の個人に向けたものではなくあくまで「英雄的なるもの」ということだったらしい。いわば、人間の徳の中で最も重要な「勇気」がそのテーマだったのである。
「勇気」というのは「前進」そのもの。色気のない乾いた録音から聴こえてくるのはアルトゥーロ・トスカニーニの音楽への奉仕の精神。第1楽章アレグロ・コン・ブリオの灼熱の表現に舌を巻く。冒頭の2つの和音の明快さ。そして、第1主題の流暢な調べ。
シントラーの述べているところによれば、ベートーヴェンに「当代最大の英雄を音楽作品によって」祝うことをベートーヴェンに思い立たせたのは、おそらくベルナドットだったということだ。しかし、ベルナドットはナポレオンの賛美者ではまったくなかった。それどころか、フランスの歴史家バンゴーが証明しているように、彼は、ナポレオンの最強の宿敵のひとりだった。
それにベートーヴェンも、ナポレオンの存在に気づくのに第三者を必要とするような人間ではなかった。とりわけ、フランス共和国第一執政としてのナポレオンは、フランス革命―ニーチェにとって、「この千年のもっとも重要な事件」―の理想の実現を保証する存在だった。ボナパルトに対するベートーヴェンの賛美は、ゲーテと同じく、彼が革命の状況を収拾して、共和主義の原則にもとづく政治秩序を確立してくれるだろうという仮定に根ざしたものだった。
ハンス・ヨアヒム・マルク/中矢一義訳「政治人間としてのベートーヴェン」
~「音楽の手帖ベートーヴェン」(青土社)P270
楽聖ベートーヴェンは真の「平和」の意味、意義がわかっていたのだと思う。自身はあまりのエゴイストであったのだろうが、その芸術は極めて中庸だった。楽譜に書かれてあるそのままを表現しようとするトスカニーニの「英雄」交響曲に真実を見出す。
ベートーヴェン:
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1953.12.6Live)
・交響曲第4番変ロ長調作品60(1951.2.3Live)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
なるほど、ベートーヴェンは潜在意識でエゴを葬り去れという。第2楽章アダージョ・アッサイのトリオのそこはかとない憧憬がそのことを如実に物語る(ように僕には聴こえる)。
そして、第3楽章スケルツォのホルンの旋律は世界の憂愁。
終楽章については、その主題が「プロメテウスの創造物」から採られているように人類が神々から与えられた「火」の功罪をベートーヴェン自身が悦びと同時に嘆き悲しむかのよう。すべては二元の内に在る。
「ハイリゲンシュタットの遺書」の後に生み出され、傑作の森に引き継がれる楽聖の転機にある最大の作品。
余計な感情、思想を入れず、「スコアに忠実に」というのは意味あることなのかも。
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