フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第7番&第8番(1954.8.30Live)を聴いて思ふ

beethoven_7_8_furtwangler_vpo_1954最晩年のフルトヴェングラーの演奏は、かつての動的で荒れ狂う表現が後退し、どこか冷静で大人しい印象を聴く者に与える。よく言えば老練の、人後に落ちない解釈が板についたということだが、聴覚を害し、結果的には若い頃のような表現が不可能になったことの証拠でもある。

とはいえ、こんなに透徹された、それでいて実に重みのあるベートーヴェンはやはり他にはないもの。微妙な動きを含みながら音の細部までもが清澄で、楽聖の真髄がこれほどまでにストレートに沁みる演奏はなかなかない。モノラルの古い実況録音でありながら、まるでその日その時会場にいて体感するかの如くのリアリティ。

美という根本的真実を深く信じる、その信念によって、フルトヴェングラーは、いかにして音楽体験を信仰告白に変容させるのかを理解した。それができる人は誰でも、単なる指揮者とか、作曲家とか、ピアニストなどを超えた存在である。フルトヴェングラーは本当に偉大な音楽家であり、偉大な人物である。彼はこのような生き方の中で、「神の偉大な栄光のために」常にその技芸を実践していた中世の巨匠たちと密接なかかわりをもっていた。この意味でフルトヴェングラーのイメージは我々の中に生き続けていく。将来の我々のために、何度でも創造され、認識され、体験されるような「優れた調整の技」として、音楽を仕立て上げるために。
サム・H・白川著/藤岡啓介・加藤功泰・斎藤静代訳「フルトヴェングラー悪魔の楽匠・下」P386

フルトヴェングラーの死に際し、パウル・ヒンデミットから寄せられた讃辞である。偉大な指揮者の本質を見事に突く。中世どころか、何千年も昔から世のすべてを見通す巨匠には敵わない。以下、アリストテレスの「天体論」からの一節。

五感から得られる証拠も(地球は球状であるという仮説を)さらに確かなものとする。もし、そうでなかったら、月食のときに、月の形が弧状をなしているように観察されるはずがない。周知のように、月は毎月あらゆる形状をとるが・・・月食の際には、その輪郭は常に弧を描いている。そして、月食が生じるのは、地球が太陽と月のあいだに来るためであるから、この曲線の形は地球の表面の形によって決まるのだろう。それゆえ、地球は球状ということになる。・・・それゆえ、ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)周辺の地域とインド周辺の地域はつながっており、その意味では大洋は一つであると考える人々の見解を、頭から疑ってかかるのは適当でない。
リチャード・E・ルーベンスタイン著/小沢千重子訳「中世の覚醒」(紀伊國屋書店)P406

天才にはすべてが見えるのだ・・・。

ベートーヴェン:
・交響曲第8番ヘ長調作品93
・交響曲第7番イ長調作品92
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1954.8.30Live)

なんと死のちょうど3ヶ月前の記録!
楽聖壮年期の作品でありながら、どこか軽い印象を与えるヘ長調交響曲の、これほど重厚で神がかった演奏は他にない。何より演奏者を感じさせない、ベートーヴェンの音楽が冒頭から勢いを保ち純粋にただ鳴り続ける。
イ長調交響曲の方も・・・、どの楽章も戦時中のものほど没入し過ぎず、極めて客観的でありながら音楽の本質を決して見逃すことなく前のめり。終楽章アレグロ・コン・ブリオでは思わず手に汗握る。

やっぱり彼はこの時点でわずか3ヶ月後に死を迎えるとは思ってもみなかったはず。
あと5年この人が長生きしてくれていたらば・・・、音楽の歴史は変わったかもしれない。

 

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