エレーヌ・グリモーのラフマニノフ(DENON録音盤)を聴いて思ふ

grimaud_rachmaninov_1985001ヴィルトゥオジティを誇示するならば、それはショーであり、またある意味サーカスだ。

デニス・マツーエフがユーリ・テミルカーノフ指揮サンクト・ペテルブルク・フィルをバックにラフマニノフの第2協奏曲を演奏した映像と、エレーヌ・グリモーがクラウディオ・アバド指揮ルツェルン祝祭管をバックに演奏したそれを比較視聴いただいた。
轟音で鳴らす、超ヴィルトゥオーゾのマツーエフより、繊細で可憐なグリモーに圧倒的軍配が上がったことを鑑みて、そんなことを思った。

参加者の一人は次のようにおっしゃる。

圧倒的ソリストのデニスと、オーケストラとの調和が素晴らしいエレーヌと、同じ曲でこうも違うものかとあらためて思った。個人的には女性ソリストの儚い演奏が妙に魅力的でした。

この言葉にエレーヌ・グリモーの「すべて」が集約されているように思う。人々が音楽に求めるものはいわば一体感だ。グリモーの、まるでオーケストラと一体にとなって「音楽をただただ希求する姿勢」に対し、マツーエフは自身の圧倒的技術を武器に、どちらかというとロシア的豪放さを前面に出す。もちろんこちらの方が好みだという人もいよう。しかし、あの重心の低いほとんど重戦車のようなピアニズムに圧倒されながらも、マツーエフ&テミルカーノフの表現はどこか醒め、記憶に残らない。これだけを聴いているとまったく問題なく堪能できるのだが、やはりエレーヌ・グリモーの「心奥に届く存在感」の右に出る者はいないということだ。それほどに洗練され、演奏者を感じさせない、ある種「空(くう)」を体現した音楽を彼女は創出するのである。

なるほど「一体感」と僕は表現した。聴く者との間に一切の壁がない、ただひたすら自然と共に呼吸する音楽。彼女が狼と生活を共にし、彼らの心が読めるというのも頷ける。また、彼女が共感覚の持ち主だということも納得できる。特別な人、「選ばれし人」なのである。

そして、エレーヌは若い頃からすでに「そういう演奏スタイル」をものにしていた。

ラフマニノフ:
・ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品36
・「音の絵」作品33
―第1番ヘ短調
―第2番ハ長調
―第3番ハ短調
―第5番ニ短調
―第6番変ホ短調
―第7番変ホ長調
―第8番ト短調
―第9番嬰ハ短調
・前奏曲変ロ短調作品32-2
・前奏曲嬰ト短調作品32-12
エレーヌ・グリモー(ピアノ)(1985.7.21-23録音)

エレーヌ25歳の時のDENONへの録音。第2ソナタ冒頭の流れるような曲想に、彼女がすでに自身の内側にラフマニノフ同様の「巨匠性」を見出したていたかのように僕は感じた・・・。もちろん作曲者本人のような男性的な側面は一切出さない。かといって、あまりに女性的なそれでもない。やっぱり「中性」、というか「何もない」演奏なのである。それでいて実に音楽的。
真に不思議な、そして魅力的なピアニストである、エレーヌ・グリモーは。
ちなみに、「音の絵」も2つの「前奏曲」も見事だが、とりわけ嬰ト短調作品32-12の、夢見るような旋律美と仄暗い精神性溢れる響きに脱帽。

 

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