「ナディア・ブーランジェの知られざる音楽」歌曲集(2015&16録音)ほかを聴いて思ふ

煌くブルー・ムーンが美しい。
ナディア・ブーランジェの「歌曲」を聴いた。
内なる輝かんばかりの情念の発露。そこにあるのは「暗黒」だ。
モーリス・メーテルランクの詩に曲を付した「歌」。徐々に高揚する音楽は、その頂点で法悦のうねりを上げる。アレク・シュレーダーの歌唱の艶やかさ!あるいは、ハインリヒ・ハイネの詩による「何ゆえに落つる涙ぞ」でのシュレーダーの慟哭!

なにゆえに落つる涙ぞ?
涙ゆえわが眼は曇る。
こはまこと旧き涙、
わが眼の底にいと永く留まりし涙。
片山敏彦訳「ハイネ詩集」(新潮文庫)P64-65

また、アルマン・シルヴェストルの詩による「愛の詩」の甘い旋律に、メロディストたるブーランジェの神髄を思う。

ポール・ヴェルレーヌの詩に作曲した「海」の美しさ。ここでのニコル・キャベルの歌は、終始感情こもり、時に絶叫し、また時に囁くように、壮大な海を崇高な祈りをもって表現する。

上田敏訳詩集「海潮音」の注釈の言葉に僕は膝を打つ。

仏蘭西の詩はユウゴオに絵画の色を帯び、ルコント・ドゥ・リイルに彫塑の形を具へ、ヴエルレエヌに至りて音楽の声を伝へ、而して又更に陰影の匂なつかしきを捉へむとす。
上田敏訳詩集「海潮音」(新潮文庫)P57

何という慧眼!

ヴェルレーヌが、アルチュール・ランボーに銃を向け、その裁判で誰も予想しなかった禁固2年という重い刑の宣告を受けた当日に書き下ろしたという絶望の詩、「暗き果てなき死のねむり」に付したブーランジェの音楽は、その心の叫びを抉り出すように暗い。そして、それを見事に表現するエドウィン=クロスリー・マーサーの歌唱は深淵を覗き込むような重さを秘める。

暗く果てしなき死のねむり、
われの生命に落ち来たる。
ねむれ、わが望み、
ねむれ、わが欲よ!

わが目はや物を見ず、
善悪の記憶
われを去る・・・
悲しき人の世のはてや!
堀口大學訳「ヴェルレーヌ詩集」(新潮文庫)P207-208

死こそ無我無心を獲得する最良手段だとヴェルレーヌは歌うのか。

ナディア・ブーランジェの知られざる音楽
歌曲集
・「ヴェルサイユ」(アルベール・サマン詩)(1906)
・「私はノックした」(ジャン=フランソワ・ブルギニョン詩)(1922)
ニコル・キャベル(ソプラノ)(2015.12.16-19録音)
・「シャンソン」(ジョルジュ・デラキーズ詩)(1909)
・「シャンソン」(カミーユ・モークレール詩)(1922)
アレク・シュレーダー(テノール)(2016.5.20-21録音)
・「ウール・テルヌ」(モーリス・メーテルランク詩)(1910)
・「美しい船」(ジョルジュ・デラキーズ詩)(1910)
・「モン・クール」(アルベール・サマン詩)(1906)
ニコル・キャベル(ソプラノ)(2015.12「.16-19録音)
・「疑い」(カミーユ・モークレール詩)(1922)
・「暗く果てしない眠り」(ポール・ヴェルレーヌ詩)(1906)
エドウィン・クロスリー=マーサー(バス)(2016.4.2-3録音)
・「交換」(カミーユ・モークレール詩)(1922)
・「冬の夜に」(ナディア・ブーランジェ詩)(1914-15)
・「イルダ」(アルベール・サマン詩)(1906)
・「祈り」(アンリ・バタイユ詩)(1909)
ニコル・キャベル(ソプラノ)(2015.12.16-19録音)
・「歌」(モーリス・メーテルランク詩)(1909)
・「愛の詩」(アルマン・シルヴェストル詩)(1907)
アレク・シュレーダー(テノール)(2016.5.20-21録音)
・「恍惚」(ヴィクトル・ユーゴー詩)(1901)
・「海」(ポール・ヴェルレーヌ)(1910)
ニコル・キャベル(ソプラノ)(2015.12.16-19録音)
・「朝の歌」(ルイ・ティエルスラン詩)(1902)
・「夜に」(カミーユ・モークレール詩)(1922)
・「ナイフ」(カミーユ・モークレール詩)(1922)
エドウィン・クロスリー=マーサー(バス)(2016.4.2-3録音)
・「沈みゆく太陽」(ポール・ヴェルレーヌ詩)(1907)
・「エレジー」(アルベール・サマン詩)(1906)
ニコル・キャベル(ソプラノ)(2015.12.16-19録音)
・「ああ、誓わずば」(ハインリヒ・ハイネ詩)(1908)
・「何ゆえに落つる涙ぞ」(ハインリヒ・ハイネ詩)(1908)
・「ああ、あの瞳はまだ」(ハインリヒ・ハイネ詩(1908)
アレク・シュレーダー(テノール)(2016.5.20-21録音)
・「聴いておくれ、いとも甘美な歌を」(ポール・ヴェルレーヌ詩)(1905)
ニコル・キャベル(ソプラノ)(2015.12.16-19録音)
ルーシー・マウロ(ピアノ)

ナディア・ブーランジェの心が、詩人の魂に感応し、美しい歌たちが狼煙を上げる。
ところで、かつてナディアの心魂を揺さぶった若きピアニストがいた。彼はまた、アルフレッド・コルトーの目にもすぐさま留まった天才だ。1952年の来日時、コルトーはインタビューに応え、将来最も嘱目しているピアニストにひとりの若者の名前を挙げた。

それはディヌ・リパッティです。しかし彼は残念ながら2年前に亡くなりました。
~TOCE-7585志鳥栄八郎によるライナーノーツ

病気に苦しむリパッティを思い、ナディアがストラヴィンスキーに宛てて書いた手紙が心に迫る。

私の愛しいディヌ・リパッティに会いたかったのです。彼の病状は大変悪いのですよ。なんと彼の精神を愛していることでしょうか。また彼の演奏の仕方や、物の考え方を。
それなのに、ああ、彼が良くなることはないのでしょうか。今、彼はベッドから起きられません。彼の将来は真っ暗です。あなたに対し、尊敬しているということを伝えてほしいと頼まれました。そして感謝の念も。あなたの名前を彼が口にするとき、哀れな彼の顔に、なんという歓喜の表情が浮かぶことでしょうか。
ジェローム・スピケ著/大西穣訳「ナディア・ブーランジェ」(彩流社)P164

そしてまた、リパッティが死の直前にナディア宛に書いた手紙がこの上なく悲しい。

私の愛しいナディアへ
あなたの愛情溢れるメッセージにお答え出来ないほど、遠くにおりました。あなたのことを愛しく思っており、このところの数週間は、あなたへの想いが大きな支えです。勝利を手にするには、ほど遠いところにおりますが、深刻な危機は遠のいています。その一方で、私の気力は最低の状態です。
~同上書P165-166

尊敬する多くの人のために、そして何より聴衆のために彼はもっと長生きしたかったことだろう。残されたいくつかの録音を聴くにつけ、夭折の天才の類稀なる音楽性の素晴らしさにため息がもれる。

・J.S.バッハ:主よ、人の望みの喜びよ(マイラ・ヘス編)(1947.9録音)
・スカルラッティ:ソナタホ長調L.23(1947.9録音)
・スカルラッティ:ソナタニ短調L.413「パストラーレ」(1947.2録音)
・ショパン:舟歌嬰ヘ短調作品60(1948.4録音)
・リスト:ペトラルカのソネット第104番~「巡礼の年第2年」(1947.9録音)
・ラヴェル:道化師の朝の歌~「鏡」第4曲(1948.4録音)
・エネスコ:ピアノ・ソナタ第3番ニ長調作品24(1943.10録音)
ディヌ・リパッティ(ピアノ)

ナディアの紡ぐ音楽の、沈潜しまた浮遊するエッセンスは見事にディヌに引き継がれる。ゆったりとしたテンポで歌われる「主よ、人の望みの喜びよ」の祈り。また、現代ピアノによるスカルラッティの2曲のソナタの可憐な響き。特に、ホ長調が涙もの。ショパンの「舟歌」は何だかとても悲しい。あるいは、スペイン色豊かなラヴェルの「道化師の朝の歌」のエキゾチックな響きが僕たちを鼓舞する。エネスコのソナタは、祖国ルーマニアへの想いをぶちまける、内燃するエネルギーに満ちる大演奏。

涙なくして語れぬ、ディヌのナディアへの、死の2週間前の手紙。

この地球上であなたと同じ時代を生きることが出来たことは幸せでした。あなたがして下さった全てに感謝します。
~同上書P166

1950年12月2日、ディヌ・リパッティは33歳で逝った。
ナディア・ブーランジェにとって彼の死は、妹リリの死と同じくらい重く、衝撃だったろう。

 

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