私はすべての人に「全世界共通の音楽的な心」と呼べるものがあると信じています。
―ビル・エヴァンス
「音楽的な心」を体現した最たるものがビル・エヴァンスその人のピアノだ。彼のピアノはいつも強烈な光彩を放ち、一聴それだとわかる。とはいえ、決して独り相撲ではない。例えばトリオの場合、絶対的にその関係を大事にする。どんな即興パートであろうと他のメンバーを置いてけぼりにはしない。
数多くの国々の間でも、一番早くエヴァンスに最高の評価を与えたのが日本である。ヘレン・キーンが状況をこう伝える。「テレビ・カメラ、垂れ幕、花束、その他色々のもので歓迎されたわ。マーチング・バンドだけはなかったけれど。全員がビルが誰なのかわかっているみたいだった―ベル・ボーイからウェイター、サイン帳を携えてくすくす笑っている女の子たちまで―そしていつものように、彼は本当の魅力でそれに応対したの。ビルの性格で最も可愛らしかったのは、行く先々でスターとして扱われることを子どものように喜んだ所だと思うわ」。
~ピーター・ペッティンガー著/相川京子訳「ビル・エヴァンス―ジャズ・ピアニストの肖像」(水声社)P251-252
日本人の音楽センスは本当に素晴らしいと思う。ヘレン・キーンによってプロデュースされた、その年の1月20日の郵便貯金ホールでのパフォーマンスを収録した「ライブ・イン・トーキョー」を聴く。
Bill Evans:The Tokyo Concert(1973.1.20Live)
Personnel
Bill Evans (piano)
Eddie Gomez (bass)
Marty Morell (drums)
MCのピアニスト紹介直後の熱狂的な拍手喝采が、まさに日本人のエヴァンスへの憧れと尊敬を表すよう。”Mornin’ Glory”の最初の音が鳴るや会場が静寂に包まれる様は、ジャズの本懐ここにありという態。何という意味深く柔らかい、そして「歌」に溢れるピアノであることか。続く”Up With the Lark”ではアップテンポに変わるが、これは当時の新曲だったよう。3者の見事なバランス、一糸乱れぬ融合は聴きどころ。何て美しいのだろう。
第2部冒頭の”When Autumn Comes”の語りかけるピアノの音が、ちょうど今頃の時期に感じられる「虚ろな寂しさ」を言葉でなく音で、文字ではなく音符で表現する妙味。こちらもどうやら新曲だったようだ。
続くエヴァンスの新作曲”Twelve Tone Tune Two”の何ともモダンな響きに卒倒。かっこ良すぎる・・・。さらに、ソロによる”Hullo Bolinas”の静かな哀しみはビル・エヴァンスの真骨頂。全編どの瞬間をとっても感動的だが、このコンサートのクライマックスはやっぱり亡きスコット・ラファロの名曲”Gloria’s Step”か・・・。幾分前のめりのテンポによる切れば血の噴き出しそうな熱い演奏。後半のゴメスのベース・ソロもなかなかのもの。
ただひとりの演奏を他の人が追随するような形ではなく、トリオが相互にインプロヴィゼーションする方向で育って行けばいいと思う。たとえば、もしベース・プレイヤーが自分の演奏で応えたい音を聴いたとする。それなのにどうして4分の4拍子を後ろでただ弾き続けている必要があるんだ?私が共演する人々は普通の演奏のやり方は知っているのだから、それを変えても良い段階に来ていると思う。結局、クラシックの曲では、ソロになるまでそのパートはちゃんと聴こえない。これは楽節移行法―音がどんどん、最終的には突出するまで大きくなって行く方法だ。
~同上書P114
これは例の伝説のトリオを生み出すに際し、ビル・エヴァンスがもっていたアイデアのひとつだ。それから10数年の時を経ても彼のコンセプトは変わらない。「トリオ相互に即興する」という言葉はまさに「トーキョー・コンサート」トリオにも当てはまる。
あと10年も早く生まれていたら、ひょっとしたらば僕もこういう伝説の場に居合わすことができたのかもしれないと思うと・・・、本当に無念である。
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