微に入り細を穿ち・・・

tchaikovsky_richter.jpg微に入り細を穿ちここ十数年の過去を振り返ることが必要だ。
他人には「毎日自分のとった行動を反省せよ」と教えながら、相変わらず自分には甘い。ほとんど逃避状態。本質的に「わかり」たくないのかどうなのか・・・。「知ること」を恐れているのかどうなのか・・・。やっと己の殻を破るべき時期が来たようである。どうやって破るのか、その具体的な術は不明。ただ、過去の記憶にどっぷりと浸り、自分のやった行動を省みて、良くも悪くも全てをじっくり受容してみることから始めるか・・・。

僕はこれまでロシアの大地に足を触れた経験がない。旧ソ連時代、すなわちレニングラード時代の面影が色濃く残る頃に訪問しておいた方がよいというアドバイスを受け、1999年の夏に休暇をとり、サンクトペテルブルクを訪れる予定だったものの、事情により中止せざるを得なくなったことが今でも惜しまれる。ともかく庶民には想像もつかないような広大な敷地に建造された絢爛豪華なロマノフ王朝時代を髣髴とさせる街並みをこの目でしかと確かめたかった。ドストエフスキーが歩いた、そしてチャイコフスキーやラフマニノフが楽想を閃いたその地の冷たい空気に当たりながら己の存在を確認したかったのだ。

穏やかな 安らぎの一隅を
うっすら包む 夜の闇。
暖炉のなかの かすかな焔
燃えかすつきの 消えたろうそく。
-アレクサンドル・プーシキン

チャイコフスキーはこの詩にインスパイアされて、ピアノ曲集「四季」の第1曲「1月-炉辺にて」を生み出した。まさにその内容の如く安らかな静けさを伴った美しい音楽。リヒテルの弾くピアノは、暖炉の前でひとり佇む詩人の孤独を見事に再現する。随分前「リヒテルの詩情」と題されてビクターエンタテインメントから発売されたシリーズの1枚に収録された「四季」抜粋は極めつけの名演奏。

〈黄金期のロシア・マエストロシリーズ〉~リヒテルの詩情~1
チャイコフスキー:ロマンス作品51-5、瞑想作品72-5ほか
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)

そして同じく「リヒテルの詩情」からチャイコフスキーのピアノ小品を集めた音盤。チャイコフスキーの音楽を愛する者必携のお宝アルバム。手紙や日記で自らの心情をありったけに吐露したチャイコフスキーらしいピアノによる告白・・・。これほどまでに瑞々しく、そして直截的に胸に響く音楽はなかなかない。

残念ながら、リヒテルの実演は聴いたことがない。晩年の来日ではチャイコフスキーーやラフマニノフなど故国の作曲家の楽曲を随分とりあげていたと聞く。聴くチャンスは1度ならず数度とあった。後悔先に立たず。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
チャイコフスキーについては私も軽くみていたんでしょうね。ご紹介の一連のピアノ曲など全く興味がなく、存在は知っていましたがCDも買おうと思ったこともなく、当然今日まで真剣に聴いたこともありませんでした。この機会に、反省して勉強してみたいと思っています。
リヒテルは一度だけ1988年の東京での来日公演を聴いています。プロコフィエフ「ピアノ・ソナタ第2番」、ストラヴィンスキー「ピアノ・ラグ・ミュージック」、ショスタコーヴィッチ「前奏曲とフーガ作品87より第19曲、第20曲」、ヴェーベルン「変奏曲」、バルトーク「三つのブルレスケ」、シマノフスキー「メトープ 作品29」、ヒンデミット 「組曲《1922》」といった、当時の私には馴染みのない曲ばかりのプログラムで、率直にいって、曲も演奏もよく理解出来ませんでした。「猫に小判」、「豚に真珠」とはこのことです(笑)。
ヤマハのピアノを愛し、ショパンのピアノ・ソナタ第2番、第3番も、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番も、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、第5番も「月光」ソナタも録音を残していないリヒテルは、私にとって未だに謎の多いピアニストです。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
そうなんですよね。チャイコフスキーはどうしても軽視してしまいますよね。わかります。たださすがに現代に生き残っている大作曲家だけあり、実に奥深いものがあると思います。
それにしてもリヒテルの実演を聴かれているとは羨ましいです。
それに何と玄人好みのプログラムでしょう!確かに20年前では僕にとっても「猫に小判」でした。

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