ジャン=マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル2014

luisada_20141124033「粋」というのを地で行く人。
今宵のリサイタルの印象というのもまさにその字の如く。あまりに中性的なピアニズム。それでいてあらゆる感情を含んだ浪漫的表現。この人の人間性がすべて出し尽くされた一夜だった。
ルイサダは聴衆だけでなく譜めくりストにもご丁寧に感謝の意を表する。究極の脱力から発せられる低音部の轟音と高音部の静かな祈りの対比。白眉は何といっても一呼吸の休みもなく続けて演奏されたショパン。

ジャン=マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル
2014年11月24日(月・祝)18:00開演
紀尾井ホール
・ハイドン:アンダンテと変奏曲ヘ短調Hob.XVII-6作品83
・シューマン:フモレスケ変ロ長調作品20
休憩
・ショパン:3つのマズルカ作品59
・ショパン:ピアノ・ソナタ第3番ロ短調作品58
~アンコール
・モーツァルト:グラスハーモニカのためのアダージョハ長調K.356
・ショパン:スケルツォ第2番変ロ短調作品31
・ショパン:ワルツ第12番ヘ短調作品70-2

ハイドンもシューマンも、いずれも悲しみを纏った音楽だ。しかし、ハイドンのものが大切な人を失くした時の感情を音化した作品であろうといわれているのに対し、シューマンのものは愛するクララといよいよ結婚というその前年に生み出されたものであり、その本質はまったく違う(いや、結婚直前はクララの父の猛反対からの裁判沙汰に遭っていた時だから、かえって最も苦しい時だったか・・・)。ハイドンは音楽を創造することで喪失感を超えることのできる音楽家であった。対するシューマンは、喜怒哀楽様々な感情に埋没しながら音楽を書き続ける音楽家だったということだ。
ルイサダのピアノは2人の作曲家の激情、異なる哀しみを見事に再現する。これほどに感情の坩堝を言い当てるピアニストはなかなかいまい。ハイドンのコーダのシンフォニックな慟哭に思わず心が動く。シューマンにおいては、内在するフロレスタンとオイゼビウスの浮沈が見事に再現され、ルイサダの天才的再現に舌を巻く。明朗にして快活かつ即興的、その重戦車の如くの打鍵によるロマン派の音楽は、たった今目の前で生み出されたかのように思われた。

休憩を挟み、後半は晩年の苦悩を背負ったショパンの傑作たち。
いずれも、ジョルジュ・サンドとの蜜月の崩壊前のものであり、それでいて、ショパン自身も体調が思わしくなかった時期のものだ。それでも、彼のペンは充実していた。ソナタ第3番の恐るべき構成にあらためて感動し、哀感満ちるマズルカの、祖国を想い自身の不甲斐なさを自省する作曲家の憂鬱の見事な反映に思わず涙する。

それにしても何と自由なショパンであることか。アルフレッド・コルトーを思わせる独特のルバートに、情熱と浪漫が重ね合わせられ、美しい音楽が再現される。3曲のマズルカは、各々に愁いを湛え、涙なくして聴くことができない。間髪置かずアタッカで次なるソナタに移り、このソナタも一切の休止なくすべての楽章が間断なく続けられた。もはやこれはルイサダによる晩年のショパンとサンドをモチーフにした物語だ。特に第3楽章の夢見るノクターンを弾き終え、終楽章のデモーニッシュな音楽にとって代わる瞬間の激情は、自分たちの行く末を案じるが如くの愛惜の音楽と化していた。しかし、物語はそこで終わらなかった。

アンコールの最初に奏されたモーツァルトのグラスハーモニカのためのアダージョの、まるで悪魔が天使に変わるかのような空気の変化にルイサダの天才を思った。ショパンはサンドとの決裂をもって死を迎え、その死がまさに安息へとつながるかのような瞬間。何という可憐で簡潔な響きであることか。そして、2曲目のスケルツォ第2番の、あまりの自由な解釈に感動を覚えた。聴き慣れたこの作品が別の作品のように聴こえたほど・・・。
最後のワルツは、ショパンの自らへのお別れの音楽のよう。彼が生前に発表できなかった理由が何だか少しわかる気がした。
大いなる2時間超。演奏だけでなく、ふるまいから仕草から、ピアニストの優しさに満ちた素敵なひとときだった。

 

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5 COMMENTS

畑山千恵子

ルイサダのリサイタルにはなかなか行けません。日程が合わなかったりで残念です。次回、来た時にはいけるといいですね。

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小平 聡

私も都合がつかず聴きに行けなかったひとりです。貴文一読、かえすがえすも残念。
昨年のちょうどこの時期に彼を聴き、そのときの感動が忘れられません。シューベルトのD960を前半に、後半はショパンのワルツ全曲というプログラムが当日の曲目変更でop.42を聴けなかったのが残念でしたが、演奏のいたるところにハッとさせるひらめきがあり、ワルツの演奏曲順からして”この人、センスのかたまり”と思わせるものでした。

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岡本 浩和

>小平 聡 様
昨年のリサイタルには行けなかったので今度こそはと思い、行って参りました。
素晴らしかったです。
おっしゃるとおり、演奏のいたるところにハッとさせられるひらめきがありますよね。
それにしてもこれほどのピアニストが思ったほど騒がれないのが不思議でなりません。

>”この人、センスのかたまり”

まさに!同感です。

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岡本浩和の音楽日記「アレグロ・コン・ブリオ」

[…] 昨晩の大勢の聴衆を前にしてのルイサダの即興性溢れる(実際には詳細な計算と入念なリハーサルのもとに組み立てられたものだろうけれど、それでも何%かはその時その場のエネルギーに影響を受けた演奏だろうからあえて即興と書く)パフォーマンスは本当に見事だった。音楽とは真に生き物である。聴く者と演奏する者があって、しかも相互に血(気)を通わせることで生命漲るものへと化学反応を起こす。もちろんそのことは音楽に限ったことではないのだけれど。 […]

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